山麓から城址を眺める
諏訪氏の本拠上原城の支城として要害を誇った山城
別名
高鳥屋城(たかとやじょう)
所在地
長野県諏訪市四賀桑原
形状
山城(標高:981m、比高:190m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:空堀、堀切、土塁
満足度
?????
訪城日
2004/04/30
歴史等
諏訪氏の武士化と共に桑原郷の桑原氏も武士化していった。文明15年(1483)下社金刺興春の攻撃に対し、 上社方は桑原氏などが出陣して金刺氏を討伐したことが文献にでてくる。
『以下、案内板より』
桑原城は一名を高鳥屋城(たかとや)ともいい、諏訪総領家の本拠上原城の支城として要害を誇った山城である。
甲州街道から約200m北に位置し、本丸は空堀より高さ6m、東西33m、南北25m、面積はおよそ600㎡あり、
空堀を隔てて西側の二の丸に続く。
天文11年(1542)7月4日、諏訪頼重は武田信玄に攻められて上原城からのがれ、ここで敗れた。頼重は甲府に送られ、
「おのずから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ またもむすばめ」の世辞の句を残して割腹し、
諏訪総領家は一旦滅亡したという悲史を伝えている。いま、東光寺(甲府市)に、頼重と弟の大祝頼高を祀る小さな五輪塔二基が建っており、
また四賀神戸の頼重(らいじゅう)院には頼重を祀る供養塔がある。
長野県教育委員会 諏訪市教育委員会
現況・登城記・感想等
登り口が見つからず近くから見るだけに終わってしまった。名門諏訪氏滅亡の悲哀の地であり、
また土塁や空堀等もよく残っているとのことである。再度チャレンジをしたい。
(2004/04/30)