岩倉城主郭跡
信長に抵抗し、鳥越城の出城として三坂峠を守った城砦
所在地
石川県小松市原町
【アクセス】
小松市街から国道360号線を10km強ほど東進し、原町に入ると、道路沿い左手に「岩倉城址」の案内板があるので分かると思います。
所要時間
登城口から約40分
形状
山城(標高296m、比高215m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、櫓台、虎口、空堀、碑、説明板、遺構案内板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2013/05/18
歴史等
岩倉城は、享禄年間(1530~1531)に、一向一揆が朝倉宗滴の攻撃に対して城を築いたといわれ、城主は沢米左衛門と伝わる。
元亀元年(1570)、鈴木出羽守が守る鳥越城の出城として三坂峠を守った。
天正3年(1575)、織田信長の再度の攻撃により落城したが、再び奪還した。
その後、両軍の最前線基地として攻防が繰り返された。
天正8年(1580)、鳥越城の落城を最後に、対の城としての役割を終えた。
『現地主郭跡説明板より』
現況・登城記・感想等
岩倉城の縄張りは、なかなか複雑で、標高296m(比高215m)の山頂部に主郭を置き、その周囲を多くの帯曲輪・腰曲輪・出曲輪などで固めた山城である。
主郭の3方にある虎口の外側は、馬出しと枡形虎口などを組み合わせて防御性を高くしている。特に、主郭の北側は、虎口脇に櫓台が置かれ、その周囲に角馬出しや攻撃用虎口曲輪などが設けられ、より防御性を高くしている。恐らく、これらの多くは、落城後、織田方によって改修されたものであろう。
多くの遺構が良好に残り、なかなか見応えのある城址です。
ただ、登城口のコース案内板には、本丸の他に、二の丸と三の丸があったが、藪がひどかったせいか分からなかったが残念です。
(2013/05/18登城して)
ギャラリー
岩倉城縄張図(現地案内板より)
さあ登城!
小松市街方面から国道360号線を東進し、原町へ入ると道路沿い左手に何箇所か「岩倉城址」の案内板がある。その内、1ヶ所は、道路沿いに駐車場が設置されているらしいが、見落としてしまい通り過ぎてしまったようです。「まあ、いいか」ということで、この案内板のある近くの家の方にお願いして車を停めさせてもらい、路地を通り、登城口へと向かった。
遊歩道
路地を通り抜けると、岩倉城址への遊歩道へ向かいます。岩倉城址は、写真右の小山の遥か向こうらしく、見えません。遊歩道へは、橋の向こうを左へ向かいます。
獣避けのネットが
突然、現れました。定番の獣避けのネットです。ネットをはずして入り、いよいよ遊歩道へ出ます。
登城口
国道360号線から5~6分ほどで、登城口に到着ですが、いきなり猪捕獲用の仕掛けが現れましたw(*゚o゚*)w。今日の登城は、一人でなく、Mっさんと2人なので、何となく安心です??
岩倉城址コース案内板
登城口には、「岩倉城址コース」の案内板が立っています。但し、この案内板、あまり信用しない方が良いかも??理由は後ほど。
登城道
登城道は、沢に沿って、ひたすら登って行きます。
おうめ地蔵
登城口から7分ほど登ると、岩をくり抜いた中に小さなお地蔵さんが・・・。先程の案内板によると「おうめ地蔵」らしいが、由緒等は分かりません。
さむらい道??
登城口から、ひたすら登ること15分。右手に「さむらい道→」の碑が現れた。一方、先程まで、時々、設置されていた「岩倉城址参道」の碑はない。登城口の案内板によると、岩倉城址へは「さむらい道」を進むようになっている。
このまま、真っ直ぐ登って行くか、右へ曲がってさむらい道を行くか、迷った末、さむらい道を選択したのが大失敗(;>_<;)。さむらい道をどんどん進むと、ほぼ山麓まで下りて行ってしまい、引き返してくるのに15分以上のロスをしてしまった(;´▽`A``。それにしても、こんな中途半端な案内碑は迷惑だヽ(`⌒´)ノ。
やっと城址案内板が・・・
上写真分岐点に戻って、気を取り直して、真っ直ぐ進む登山道を登ること9分ほどすると、やっと「岩倉城道」の案内板が現れました。ここまで見てきた案内碑と較べると、随分古ぼけています(苦笑)。まあ、それでも、これで間違いないと、ひとまず安心しました(*^_^*)。
岩倉城・岩倉観音分岐点
さらに4分ほど登ると、岩倉城址と岩倉観音への分岐点へ出ます。どちらを選んでも、城址へは辿り着くようですが、まずは「岩倉城址」です。
空堀底道
分岐点から先は、かなり急な坂道になります。後ほど、主郭で見た縄張図によると「空堀底道」となっていたが、空堀というほど深くはないです。
大手虎口
空堀底道を登ること5~6分ほどで、主郭北西部の大手口へ出る。
大手二重枡形虎口と帯曲輪
当写真は、大手口から撮ったものですが、大手虎口は二重枡形になっている。主郭土塁(写真左)の西下には、良好に残る、かなり広い帯曲輪(写真中央奥)が確認できる。
変形馬出し
大手口の西側下には変形馬出しが備えられている。馬出しの全面には蔀土塁が設けられている。ところで、「変形馬出し」の意味がよく分からないのですが・・・( ̄ー ̄;。
主郭
主郭は、ほぼ南北に細長い楕円形で、周囲を2m弱ほどの土塁がめぐっている。虎口は、大手門、搦手門、東門の3ヶ所あり、それぞれ外側に馬出しや枡形虎口を組み合わせて防御を固めている。
主郭周囲をめぐる土塁
縄張図付き説明板
主郭中央東側の土塁前に縄張図付きの説明板が設置されている。かなり詳しい解説付きで有難い。
投げ石
主郭内には、投げ石用の石が残っている。一揆方にとっては、貴重な飛び道具だったでしょうね。
東門喰い違い虎口
主郭の南東部に設けられた虎口です。喰い違い虎口になっているのがよく分かるのですが、写真にすると微妙です。
搦手門平入虎口
搦手は、主郭の北側にあります。平虎口ですが、すぐ脇には櫓台(写真左側)、外側には角馬出し、空堀状帯曲輪、さらには攻撃用虎口郭が設けられ、当城の中でも最も厳重な防御体制になっています。
櫓台
角馬出し
搦手門から撮ったものです。周囲を土塁がめぐり、左側には攻撃用虎口郭へ通じる枡形虎口(写真左前方)、右手前は空堀状帯曲輪へ通じ、右後方には奥に設けられた腰郭に通じる平虎口がある。
空堀状帯郭
主郭東側下に設けられた帯曲輪です。
角馬出しから攻撃用虎口郭へ通じる枡形虎口
攻撃用虎口郭
「攻撃用虎口郭」という名前、初めて聞きますが、「馬出し」みたいなものでしょうね。後方土塁は、主郭北側の櫓台です。「角馬出し」に通じる枡形虎口の他に、東側(写真左側手前)にも平虎口があります。
攻撃用虎口郭の平虎口
攻撃用虎口郭の外側から撮ったもので、左奥に櫓台が見えます。
攻撃用虎口郭の北側の空堀底道
登城口の案内板に載っていた二の丸や三の丸が、空堀の外側にあるのかもしれないと思い、空堀の中へ入って行ったが、その向こうは、強烈な藪でgive up( ̄ー ̄;ひょっとしたら、角馬出を二の丸、攻撃用虎口郭を三の丸と表示しているのではなかろうか?。
岩倉観音
主郭周辺を一通り見て廻ったあと、「岩倉観音」経由で下山しました。この削平地も腰郭跡です。岩倉観音は、京都の東岩倉にならって開かれたという伝承があり、白山信仰の霊場だそうです。
尚、主郭にあった案内板によると、「ここから見る白山は美しい」とあったが、周囲は大木だらけの、まさに深山幽谷で、眺望は全く開けてなかったけど???