越前 府中城(越前市、旧武生市)

越前市役所玄関脇に建つ城址碑

前田利家が築城、江戸期には福井藩家老本多氏が在城

別名

府中館

所在地

福井県越前市府中1丁目
【アクセス】
越前市役所付近一帯が城跡で、市役所玄関脇に城址碑が建っている。
越前市役所:府中1丁目13−7、電話0778-22-3000

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 越前市役所他
【遺構等】 石碑(解説付き)、移築門(正覚寺)
正覚寺:福井県越前市京町2丁目1−8、電話0778-22-1319

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2013/07/15

歴史等

府中城の起源は、文明の頃(1469~87)に越前国守護朝倉氏が府中奉行所を置いたことにはじまると云われる。
天正3年(1575)、越前の一向一揆を平定した織田信長は、越前に柴田勝家を配した。そして、府中(現越前氏、旧武生市)上二郡に、柴田勝家の補佐として、いわゆる府中三人衆(前田利家、不破光治、佐々成政)を置いた。
柴田勝家が、北ノ庄に築城すると、前田利家は奉行所を修築・拡張して居城した。また、不破光治は竜門寺城に拠り、佐々成政は小丸城を築き居城した。
賤ヶ岳の合戦時には、敗走した柴田勝家を追ってきた羽柴秀吉を当城で迎えたという。
豊臣政権下では、木村・青木・堀尾の諸氏が在城した。
慶長6年(1601)に結城秀康が越前国主として福井城に入城すると、府中城には付家老本多富正が城代となり、代々在城し、明治に至った。
『「日本城郭大系11」、「現地石碑(解説付き)」、「越前市ウェブサイト」参照』

現況・登城記・感想等

越前市役所一帯が府中城跡であるが、今では、市街地化して全く面影はなく、市役所の玄関脇に石碑が建てられているだけである。石碑には「越府城址」と刻まれているが、「越前府中城址」の略でしょうか?
尚、唯一の遺構である府中城表門が市内正覚寺の山門として移築されている。
(2013/05/17訪れて)

ギャラリー

府中城表門
府中城の表門が、市内にある正覚寺山門として移築現存している。
府中城表門

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