越前 小丸城(越前市、旧武生市)

小丸城本丸虎口(埋め門と石垣)

織田信長による越前一向一揆平定後、佐々成政が築いた城

読み方

こまるじょう

所在地

福井県越前市(旧武生市)五分市町
【アクセス】
常安楽院の南東が小丸城本丸跡ですが、五分市町に近くなると、多くの案内板が立っているので、すぐわかると思います。城跡の西に広い駐車スペースがあります。
常安楽院:五分市町28−108 電話0778-27-1147

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 公園
【遺構等】 曲輪、石垣、土塁、空堀、穴蔵門、石碑(2基)、石柱、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2013/05/17

歴史等

小丸城は、天正3年(1575)、越前の一向一揆を平定した織田信長は、越前に柴田勝家を配した。そして、府中(現越前氏、旧武生市)上二郡に、柴田勝家の補佐として、いわゆる府中三人衆(前田利家、不破光治、佐々成政)を置いた。
柴田勝家が、北ノ庄城を築くと、前田利家は府中城に、不破光治は竜門寺城に拠り、佐々成政が小丸城を築き居城した。
小丸城は、味真野の扇状台地末端に野々宮廃寺跡の一部を取り込んで築かれた。
同7年(1579)には、佐々成政が越中砥山城(富山城)に転封したため、小丸城はわずか4年間で廃城になった。
『「日本城郭大系11」、「現地説明板」より』

現況・登城記・感想等

小丸城は、日本城郭大系の図を見ると、二重に水堀が巡らされた方形館を基本とした輪郭式平城であったようである。
現在は、本丸跡と本丸東側と北側の堀跡が比較的良好に残り、往時の様子が窺うことができる。
本丸跡には、一部石垣がみられ、中でも本丸虎口の埋め門と周囲の石垣は見応え充分で、当城址の一番の見どころでしょう。
尚、外堀部分も往時の地形が残っているように感じられたが、その辺りは、かなり改変されているそうだ。
(2013/05/17登城して)

ギャラリー

城址碑
城址碑が、本丸跡の南側を通る道路沿いと本丸下の石垣前に立っている。
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本丸石垣と城址碑
本丸南側の石垣(石碑の背後)は、高さ3m近くあり、かなり大きめの石が用いられ、しっかりしたものだが、残念ながら、草木の元気な季節で藪に覆われてしまっていた。
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本丸虎口
本丸への虎口は、本丸の東側に設けられ、埋め門になっており、両側の石垣が良好に残っている。これが当城の最大の見どころでしょう。
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本丸への石段
埋め門をくぐると、本丸への石段が・・・。両側に積まれた石は、かなり大きな石が用いられている。
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枡形
本丸虎口は、規模は小さいものの、内枡形構造になっている。当写真は、本丸内から撮影。
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本丸
本丸の規模は、東西45m、南北50mで、高さは周囲をめぐる堀の水面から7mほどだそうです。
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本丸東側の堀跡
往時は、本丸周囲を、幅10~30mの水堀がめぐっていた。本丸東側と北側の堀跡は、比較的良好に残り、往時の様子が窺うことができる
東堀

本丸北東部の堀跡
北東堀

【常安楽院と和伊屋】
城を廻っていた時に、小丸城跡の西側の常安楽院のすぐ前にある「和伊屋」のオーナーの方(写真の方がそうですが、なかなか男前ですね)が、小丸城や周囲の歴史等についていろいろ教えてくれました。
「常安楽院(写真後方の建物)」は、昭和45年(1970)に永平寺の座禅堂を移設した建物だそうです。「和伊屋(ずばり日本とイタリアですね)」は「パスタと蕎麦」の店ですが、常安楽院で食事ができるのだそうです。
常安楽院の本堂内も見せて戴きました。残念ながら、食事の方は済ませたばかりで、しかも店もランチタイムを過ぎていたためできませんでした。ランチの写真などを見ましたが本当に美味しそうでしたし、由緒ある本堂内で食事ができる機会なんてそうないでしょう。次回、近くを訪れた時には、是非寄りたいものです。

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