正覚寺山門脇に建つ城址碑
南北朝期に越前守護職斯波高経が築城、新田義貞により落城
所在地
福井県越前市(武生市)京町2丁目
【アクセス】
正覚寺が城跡。
正覚寺:福井県越前市京町2丁目1−8、電話0778-22-1319
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 正覚寺
【遺構等】 土塁・碑・説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/07/15
歴史等
新善光寺城は南北朝時代の動乱期に越前守護職斯波高経によって築城されたと伝えられている。
延元元年(1336)南朝方の瓜生生保によって落城、その後奪取するものの延元3年(1338)新田義貞と日野川での戦闘で高経が大敗し新善光寺城は再び落城した。
その後、南朝側の勢力が衰えると新善光寺城を放棄し美濃に引き上げた事で廃城となり、貞治5年(1366)跡地に良如は、乱で戦死した数千人の霊を弔うため浄土宗の寺院「正覚寺」を建立した。
『「現地石碑(解説付き)」、「越前市ウェブサイト」、「福井県:歴史・観光・見所」他参照』
現況・登城記・感想等
府中城の表門が正覚寺の山門として移築されているというので見に行ったら、その脇に新善光寺城の城址碑が立っていた。
正覚寺が、新善光寺城跡だということが分かったが、本堂裏に一部が残るという土塁を見落としてしまいました(;>_<;)。
(2013/05/17訪れて)
ギャラリー
新善光寺城跡に建つ正覚寺
正覚寺山門
正覚寺山門は江戸時代の本多家の居城・府中城の表門を移築したものです。