三河 本郷城(岡崎市)

住宅街の中に建つ「植村栄安生誕の地の碑」

家康の祖父清康と父広忠の仇を討った植村新六郎の城、曾孫家政は高取城主に

所在地

愛知県岡崎市東本郷町高畑
【アクセス】
「東本郷信号」から東進し、3本目の路地を右(南)へ曲がり、100mほど行くと左手に植村栄安生誕の地の碑が立ち、その前に「岡崎観光文化100選(植村栄安生誕地)」の説明板が立っている。

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 宅地等
【遺構等】 植村栄安生誕の地の碑、植村栄安の説明板

満足度

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訪城日

2011/08/14

歴史等

植村氏は、土岐氏の後裔とされ、戦国時代、土岐氏義が美濃より遠江国植村に移り住み、明応年中(1492~1501)に植村と号したという。その後、三河国東本郷村に移り住み、松平氏4代長親に仕えたという。
氏義の子・新六郎栄安(氏明)は、家康の祖父・清康に仕えた。
天文4年(1535)、尾張守山城で主君清康が近臣阿部弥七郎の凶刃に倒れたとき即座に弥七郎を討ち主君の仇をとった(守山崩れ)。
また、天文18年(1549)、清康の子広忠(家康の父)も近臣の岩松八弥の凶刃に倒れたが、そのときも殺害した八弥を討ち取るという親子2代の仇をとるという奇功を残した。
その後、家康に仕えて本郷城主となった。
寛永17年(1640)、栄安の曾孫・家政は、大和高取城主となった。

現況・登城記・感想等

本郷城は、宅地に埋もれ遺構は全く残っておらず、「植村栄安生誕の地の碑」が立ち、その前に「岡崎観光文化100選(植村栄安の生誕地)」の説明板が立っているだけだ。
石碑には説明文も刻まれているが、例によって見辛くてほとんど読めない(;´▽`A``。
(2011/08/14訪れて)

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