尾張 守山城(名古屋市守山区)

宝勝寺の北側の高台(物見台?)に立つ城址碑

家康の祖父・清康が殺された「守山崩れ」の舞台となった城

所在地

名古屋市守山区市場4-45(宝勝寺一帯)
宝勝寺:052-791-2044

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 宝勝寺ほか
【遺構等】 土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2011/02/27

歴史等

守山城は、大永5年(1521)に今川氏親が那古野城を築いた頃、小幡城・川村城に対応して築かれたといわれるが定かではない。
三河の松平信定が領有していた頃に、連歌師宗長は、この城で千句連歌を催したという。
天文年間(1532~55)、松平清康(徳川家康の祖父)は、三河の大半を手中に収め、勢いに乗じて尾張を攻略しようと計画し、ここに住したが、同4年(1535)に家臣阿部弥七郎に殺され、松平勢はにわかに主将を失って総崩れとなり、岡崎に引き揚げた(守山崩れ)。
こののち、松平氏は急速に衰え、長い雌伏時代が続いた。
守山崩れのあと、当城は織田信秀に属し、信次(信長の叔父)、信時(信長の弟)が城主となったが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの後は廃城となった。
『「日本城郭大系9」、「現地説明板」より』

現況・登城記・感想等

守山城は宝勝寺一帯にあり、東西約58m、南北約52mで、一重の堀をめぐらしていたという。
宝勝寺の裏にある墓地裏の雑木林に比較的規模の大きな空堀が今も確認できる。ただ、藪がひどくて堀底へ降りていくのは断念。
その北(寺の敷地外)には物見台跡のような高台があり、その上に石碑が立っている。
(2011/02/27訪れて)

ギャラリー

空堀
IMG_1853

高台(物見台?)
IMG_1850

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