三河 奥殿陣屋(岡崎市)

移築書院

奥殿藩は信州佐久にも領土が、幕末藩主乗謨は稜堡式城郭・龍岡城を築き移動

所在地

愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:岡崎市村積山自然公園
遺構等:移築書院、土塁、堀?、碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2006/08/28

歴史等

徳川家康の祖4代・松平親忠の二男・乗元が大給(豊田市)に大給松平を興し、その5代目真乗の長男・家乗は岩村城主 (岐阜県)となり、その後、明和元年(1764)西尾藩主として続く。二男・直次は大坂の陣に戦功をあげ奥殿藩の藩祖となった。
奥殿藩は三河に4千石のほか信州佐久に1万2千石を領していた。この陣屋は宝永4年(1707)4代乗真の時、大給から当地に移された。
文久3年(1863)11代藩主松平乗謨が信濃国田野口の龍岡城に居城を移すまで7代152年までの間領民支配の中心となっていた。
当時は、御殿、書院、役所、役宅、学問所、道場などの建物があった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

岡崎市村積山自然公園として非常にきれいに整備されている。駐車場からコスモスや薔薇の花畑の横の道を通って書院へ向かった。
陣屋は村積山の麓に築かれているが、それなりの構えが施されており、陣屋としては、かなり大規模な部類に入るであろう。
明治維新後、陣屋の建物は撤去されたが、書院は龍渓院(岡崎市桑原町)に移築され現存していたので、再度現在地に移築され、保存・ 公開されているとのことであったが、残念ながら、月曜日で休館日で書院には入れなかった。
(2006/08/28訪城して)

ギャラリー

登城道①(土塁が刈り込まれた植木で「ジンヤ」の文字が浮き彫りになっている)

登城道②(駐車場から陣屋への登城道は、土塁に「ジンヤ」の文字の下を通る。 そこには薔薇やコスモスの花畑が。)
 

水堀?(陣屋脇に水堀のような池が? 往時のものか、公園化してからのものかは分からない。)
 

書院の門(残念ながら、月曜日で休館日。書院には入館できず門が閉まっていた。)

書院
明治維新後、陣屋の建物は撤去されたが、書院は龍渓院(岡崎市桑原町)に移築され現存していたので、 再度現在地に移築され公開されている。

書院の庭
休館日で書院には入館できなかったが、脇のところから庭園の一部が見えたので撮影。

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