本丸跡隅に建つ城址碑
信長の父・信秀が築城、古渡城から移る
別名
末盛城
所在地
愛知県名古屋市千種区城山町2丁目(城山八幡宮)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城山八幡宮他
遺構等:曲輪、内堀、土塁、碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/11/23
歴史等
末森城は、天文17年(1548)に織田信長の父・信秀が築城し、それまでの居城古渡城から移った。末森城の築城は、守山城の弟織田信光と連携して三河への防衛のためと考えられている。
天文20年(1551)3月、信秀はこの城で病死し、信長が織田家の家督を嗣ぎ、末森城は信長の弟・信行が城主となった。
弘治3年(1557)、信行は重臣達に擁されて信長に対抗したため、信長によって清洲城にて謀殺された。 末森城は、翌年に廃城となり破却された。
現況・登城記・感想等
城跡は本丸跡が城山八幡宮、二の丸跡は愛知学院大学の敷地になっている。本丸の周りはかなり立派な空堀が巡っている。空堀は、深さは8mほど(堀底と本丸との高低差)、幅も8~10mほどあるのではないだろうか?
中世・戦国時代の城で、名古屋市の中に、よくぞこれだけの遺構が残っていたものである。
(2006/11/23登城して)
ギャラリー
末森城の石碑
本丸跡(城山八幡宮の境内になっている)
本丸の周りを巡る空堀
本丸の周りはかなり立派な空堀が巡っている。空堀は、深さは8mほど(堀底と本丸との高低差)、幅も8~10mほどあるのではないだろうか?