乾坤院総門として移築された緒川新城正門
刈谷城移転前の水野氏の城
別名
高薮城
所在地
愛知県知多郡東浦町緒川字屋敷三区、東浦町役場敷地内北東隅に石碑
東浦町役場:0562-83-3111
形状
平城
現状・遺構等
現状:宅地
遺構等:移築正門(乾坤院に)、石碑、説明碑
乾坤院:東浦町大字緒川字沙弥田4 電話0562-83-2506
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2009/05/13
歴史等
文明年間(1469~87)に水野貞守が緒川城(緒川古城)を築城。のち賢正、清忠、忠政、信元と続いた。
4代目城主・水野忠政は、徳川家康の生母である於大の方の父親である。忠政は東へ勢力を延ばしていき、松平氏と婚姻関係を結び、 刈谷城を築いて本拠地とし、嫡男信元を緒川城主とした。
家督を嗣いだ信元は、織田信秀に臣従したため今川方の岡崎城主松平広忠と不和になり、信元の妹於大の方の離縁の原因となった。
天正8年(1580)の水野忠守の入城に際し、居所の移転がなされた。
慶長6年(1601)に緒川藩が成立、水野分長が城主となったが、新城城(新城市)へ移封に伴い、慶長7年(1606)に廃城となった。
貞守の築城による主郭およびその周囲の曲輪を「緒川古城」と称し、忠守らの居城区域を「高薮城」もしくは「緒川新城」と呼ぶことがある。
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現況・登城記・感想等
東浦町役場の北東一帯が城跡であるが、今は一面宅地となり、当時の面影は全くない。城址碑が東浦町役場の北東隅に立つのみである。
水野氏菩提寺の乾坤院の総門は緒川新城の正門で、廃城の後に移築されたものとの伝承が同寺にある。
(2009/05/13訪れて)
ギャラリー
石碑
東浦役場の敷地内北東隅に築山が築かれ、大きき久手立派な就霊碑の裏(上の方)にひっそりと、古くて刻字が消えかかった石柱と説明碑が立っている。説明碑は例によってほとんど判読できない。