美濃 本郷城(池田町)

僅かに残る本郷城の土塁

国枝氏200余年の居城、関ヶ原合戦で織田信秀に従って西軍につき破却

別名

池田城

所在地

岐阜県揖斐郡池田町本郷北瀬古397
【アクセス】
(城跡への入口)
IMG_7209国道417号「本郷北」信号(光慶寺の北方)を西へ入り、300m程西進し、最初の路地を左折し50mほど南進すると、右手に案内板(左写真)がある。車は、この辺りの少し道幅の広いところに駐車した。この右手辺りが城跡で、ここから右(西)の方へ入って行く細い道が造られている。

その道を入って行くと、すぐにTOP写真の土塁の光景が現れる。

 

 

 

 

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 小公園、田園、宅地 (町史跡)
【遺構等】 土塁(二の丸隅?、櫓台?)、歴代武将馬乗石、石碑、標柱、説明碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2011/11/16

歴史等

当地方は平安時代、承和年間(834~847)すでに開け、城郭が築かれ池田宮内少輔維実(従四位下)が在城していたという。
その後、時代は下り南朝元中4年(北朝嘉慶元年、1384)土岐康行の小島城が落城し、足利幕府より美濃守護職に任命された土岐頼忠、頼益父子が本郷城に入ったが、後、革手城(川手城)に移ったので、当地の南、太郎ヶ城に居た国枝大和守為助がこの城を修築して居城し、その子正助から宗竜-重光-重元と凡そ200余年本城に住んだ。
修理亮政森の時の慶長5年(1600)、関ヶ原合戦が起きたが、政森は織田信秀に仕え、西軍についたので、東軍徳川勢により当城は城下と竜徳寺等と共に焼き払われたまま再建されなかった。
当時、城域は東西116m、南北149mの不整形な台形を呈し、本丸は20間(約36.4m)四方で、二重の堀と土塁に囲まれ、平地より3mほどの高い基礎の上に築かれた輪郭式平城で、その中央に櫓台(見張り台)があったといわれ、明治末期から大正初期にかけて堀は埋められ耕地にされた。
『現地説明碑&説明板より』

現況・登城記・感想等

本郷城は、ほとんどが宅地や田園と化しているが、その中にぽつんと櫓台跡のような土塁の一部だけが残っている。
説明碑によると、これが二の丸隅にあたるとあるし、説明板によると内郭(本丸?)の櫓台(天守台)となっているが・・・? 尚、日本城郭大系9には二の丸跡となっている。
(2011/11/16訪れて)

ギャラリー

復元図(現地説明板より)
明治時代の地籍図をもとに城を復元したものだそうだ。これによると、現在残っているのは内郭の櫓(天守)台とされているが、説明碑によると二の丸隅とあったが・・・?
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城跡(土塁)全景
城跡は土塁等の一部分だけが、35m四方ほど残され、池田町史跡となり、石碑や標柱等が立っている。左から、標柱、説明碑、城址碑、本郷城歴代武将馬乗石、その奥には国枝為助追悼500年碑も。
当城跡は、遺構は皆無に近いが、石碑等々がいっぱいだ(*^_^*)
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城址碑
土塁の最も高い場所(櫓台とも)に高さ3mほどの石碑が建てられている。
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本郷城歴代 武将馬乗石
城跡に、こ「武将馬乗石」なんてのがあったが、本郷城主かその家臣が子供の頃の乗馬訓練用の石だろうか?
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国枝為助追悼500年碑
城跡奥の方に国枝氏初代為助の追悼碑が建てられている。
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コメント

國枝丈記(2012/03/09)

出生地は東京の目黒で、現在、横浜市青葉区に在住。國枝の姓は、関東では少数なので、この記事には非常に親しみを感じております。國枝の姓は、岐阜に多いいと聞いておりますが、岐阜との繋がりは不明です。当方の家系図から先祖代々小田原藩士で同藩剣術指南番を勤めていたようでありますが、國枝喜十郎の代になり明治元年5月15日上野黒門口にて官軍と交戦後奥羽白河を経由して函館五稜郭に落延びた後音信なし。榎本武揚と同志なりとなっております。太郎が城や本郷城に親しみを覚えるとともに、岐阜と小田原との繋がりに想いを馳せるようようになりました。

タクジロー(2012/03/11)

國枝丈記さま
当サイトへのご訪問とコメント、ありがとうございます。
多い苗字ではないし、おそらく繋がりが、あるのでしょうね。
それにしても、ご先祖が代々小田原藩の剣術指南番で、さらには幕末には、上野のお山から白河経由、函館での戦へ参戦とは・・・。
私には、何だか、歴史小説の中の世界のようです。
また、時々、ご訪問宜しくお願い致します。

國枝 芳行(2012/07/21)

私も國枝姓で出生地は名古屋市内です。先祖は明治維新以降から名古屋のようですが、明治維新前は、岐阜にいたと代々聞いています。興味深く読まさせていただきました。一度先祖の墓参りに行きたいと考えています。

タクジロー(2012/07/21)

國枝 芳行 さま
当サイトへのご訪問とコメントをありがとうございます。
おそらく、貴兄のご先祖さまも同門のご出身なのでしょうね。
またの、ご訪問をお待ちしております。

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