遠江 井平城(浜松市引佐町)

主郭の民家の庭の隅に立つ城址碑

井伊家の分家井平氏の城、元亀3年の武田信玄の将山県昌景により落城

読み方

いだいらじょう

別名

伊平城

所在地

静岡県浜松市北区引佐町伊平
【アクセス】
国道257号と県道68号の交差点のすぐ北の路地を北東へ入り、50m程北上して右折し川を渡ります。右手に「伊平小学校」を過ぎ、その横の「伊平幼稚園」も過ぎて50m程東進し、左手前方の小山の手前の道を左折し200mほど坂道を道なりに北進すると左手道路沿いに説明板が立っています。説明板脇の急な坂道を登り切ったところに民家がありますが、そこが主郭跡らしく、庭の隅に城址碑が立っています。
伊平幼稚園:浜松市北区引佐町778-1、電話053-544-0718

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 宅地ほか
【遺構等】 曲輪、土塁、堀、井戸、城址碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2014/03/29

歴史等

井平氏は、井伊家7代井伊弥直(みつなお)の時代に分家、井平四郎左衛門直時が井平氏の祖となり井平、花平の領主で殿村に居館を構えていた。
南北朝期井伊家の枝城が記されている浜名古城記に「北は伊平の川東、今城山と云う処に砦を築き井平左衛門二郎重直其の子掃部左衛門直勝之を守る」とある。天文13年12月(1544年)井伊谷城主井伊次郎に招かれた連歌師の宗牧は、井平村を通過した折、その道中記東国紀行に「片岡かけたる古城あり、之も井伊家一家の人」と井平城のたたずまいを詠じている。
また細江町の式内社蜂前(はちさき)神社の古文書には、井伊直平公の嫡男で井伊家14代井伊宮内少輔直宗の伊平村御在城が記録されている。井平城は旧鳳来寺街道上の要地に在り、戦国時代に小屋と呼称されていた。
元亀3年(1572)10月武田信玄の将、山県三郎兵衛昌景の率いる一隊の進攻を受け落城している。
この付近には帯曲輪、土塁、土濠、井戸跡等と目される遺構が現存僅かに昔日の面影を留めている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

井平城跡の周辺へは、営業関係で浜松在住時代に時々訪れたものですが、当時は、その存在を知りませんでした。
井平城跡は、段曲輪のようになっており、その最上段に民家が建っています。
説明板には、「土塁、濠、井戸跡等と目される遺構が僅かに残っている」とあったので、民家の方の了解を得て見て廻りたかったのですが、不在のようでしたので、庭先に立つ城址碑だけ写真に収めて帰りました。また、いつか訪れたいと思います。
(2014/03/29訪れて)

ギャラリー

松山観音の丘(砦跡?)
伊平幼稚園の北西側を通る道を進むと、前方にコンクリートで固められた急崖の小山が現れます。最初は、これが城跡と思い
近くに居た地元の方に尋ねると、「伊平城跡は、この手前の道を左へ登って200mほどに説明板が立ち、その脇の坂道を登り切ったところに民家があるが、そこが城跡だよ」と教えてくれました。尤も、「この山にも砦のようなものがあったかもしれないが」とのことでした。
松山観音堂の丘

説明板
地元の方に教えてもらったとおり、登って行くと道路沿いに説明板が立っていました。車は民家に置かせてもらえばよいとのことでしたので、説明板横の道を車で登って行きました。
井平城説明板

主郭を望む
車で登って来ましたが、途中からは本当に急な坂道になります。さすが山城です。ここに住んでおられる方は、車は絶対必需品ですネ。
登り切ったところは、段曲輪のようになっていて、その最上段に民家が建ち、腰曲輪?は畑になっていました。民家の建つところが主郭でしょうか?

井平城主郭

段曲輪?
井平城段曲輪

民家の庭の隅に立つ城址碑
民家の庭には綺麗な花がいっぱい咲いていました。このすぐ脇に民家の裏側へ向かうように矢印だけ書かれた案内板が立っていました。ひょっとすると遺構等が見られるかもと思い民家の方の了解を得てから廻ろうかとも思いましたが、不在のようだったので諦めました(/。ヽ)。まあ、ここなら、いつか再登城することも出来るでしょう。
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