松本城址本丸北端部に建つ城址碑
「三日平氏の乱」の際に松本氏が本拠として戦った城
所在地
三重県四日市市松本5丁目6番地
【アクセス】
近鉄湯の山線「伊勢松本駅」の南南西約300mにある丘陵が城跡です。
四日市市中心から松本街道を2kmほど西進し、松本に近づくと、左手前方、住宅地の中に丘陵が見えてくる。それが松本城址です。
登城口は、丘陵の東側の松本神社への石段と南南西にある神明松之神社への入口の2つある。城址(丘陵)の南西部辺りの道路がかなり広くなっていたのでそこに車を停めました。
所要時間
今回の見学時間は20~25分ほどでした。
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 山林(松本神社、神明松之神社)
【遺構等】 曲輪、土壇?、石碑(裏側に説明有)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/11/20
歴史等
松本城は松本盛光が築城したもので、元久元年(1204)の「三日平氏の乱」で、松本氏は当城を本拠にして戦ったが落城した。
伊勢は伊勢平氏発祥の地であり、古代末期以来、平氏の勢力の強い国であり、源氏が台頭し平氏が滅亡していく鎌倉時代初期にも根強い抵抗が続けられた。
「三日平氏の乱」は、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件で、建仁3年(1203)12月に伊勢平氏の若菜盛高・平雅楽助・三浦盛時・富田基度らが蜂起し、平氏側は鈴鹿の関をふさぎ、伊勢の日永・若松・南村・高角(たかつの)・関・小野に城を構えた。
しかし、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅により、元久元年(1204)4月10日から12日の間に鎮圧されたことから「三日平氏の乱」と称された。
『「現地城址碑裏側の説明」、「日本城郭大系10」ほか参照』
現況・登城記・感想等
松本城址のある松本5丁目辺りは、私の子供の頃(55年ほど前)は、一部集落はあったが、山野といった感じだったように記憶しています。今はちょっとした高級新興住宅地として開発され、その中に城址の山だけが残されています。
城は、南北に細長い独立丘で、本丸跡と思われる頂部は平坦地になっており、その北側に石碑が建てられている。北端部と南端部には櫓でも建っていたのでしょうか、それぞれ少し高くなっています。
東西両側の中腹には、それぞれ松本神社と神明松之神社が鎮座しているが、腰曲輪跡でしょうか?
(2013/11/20登城して)
ギャラリー
本丸跡
本丸北端部の高みから本丸を撮ったもので、奥の方には南端部の高みが見えます。写真中央やや下に、TOP写真と同じ城址碑があります。
本丸北端部と城址碑
本丸と思われる平坦地の北端には、城址碑が建てられています。その奥(北側)は、一段高くなった2段の曲輪跡?があります。
北端部からの眺望
北端部からは、松本の街並みが見下ろせ、その向こうには「三日平氏の乱」の際に、同じく戦った「高角城」などの城跡が見えます、さらには、その向こうには鈴鹿山脈の山並みが望めます。
本丸南端部
南端部には、如何にも櫓台らしき土壇があります。
腰曲輪?(松本神社)
東西山腹には、それぞれ松本神社と神明松乃神社が祭られているが、腰曲輪跡でしょうか?
腰曲輪?(神明松乃神社)