主郭南西面の石垣
六角氏に対立した佐々木政尭が築城、「瓶割り柴田」の異名の由来の城
別名
長光寺城(ちょうこうじじょう)
所在地
滋賀県近江八幡市長光寺町、長福寺町、武生町
滋賀県東近江市上平木町
【アクセス】
国道8号線と県道14号線が交差する「六枚橋信号」を約600m程南下し、最初の信号を左折し東進する。500mほど進むと、
Y字路に分かれるので、右の狭い路地へ入り400mほど進むと右手に妙経寺がある。
妙経寺のさらに50mほど先にトンネルがある。トンネル手前を左に曲がると日吉神社がある。トンネルをくぐって不二滝経由乃至、
日吉神社から登城することができる(どちらも同じ所へ出る)。
尚、駐車であるが、私は近くのレストラン?(休業らしい)の広い駐車場を拝借したが、妙経寺にも駐車スペースがあるようだったので、
お願いすればよいと思う。日吉神社は、チェーンが張られ侵入不可。
妙経寺:近江八幡市長福寺町129 0748-37-7001
形状
山城(標高234m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、石垣、堀切、土橋、井戸、説明板、遺構案内板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2010/12/05
歴史等
瓶割山城(かめわりやまじょう)は、古くは長光寺城とよばれ、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)、
近江守護佐々木六角高頼と対立した佐々木四郎政尭が、当城の北北東約5kmにある六角氏の本城である観音寺城に対抗する城として築いたとされる。
そして、織田信長が観音寺城を攻略したあとには、
その支城として周辺地域の抑えの役割を果たしたが、天正4年(1576)の安土城築城の頃には廃城になったと考えられる。
尚、「瓶割山」の名前は、元亀元年(1570)に柴田勝家がこの城に籠って、六角承禎(義賢)と戦った際に、城の水を絶たれ、
城中に残った水瓶を割って城を出て戦って勝利を得たことから「瓶割り柴田」の異名をとったという武勇伝に由来している。
『「現地説明板」、「近江の山城 ベスト50を歩く・中井均編(サンライズ出版刊)」参照』
現況・登城記・感想等
瓶割山城(かめわりやまじょう)は、近江八幡市と東近江市にまたがる独立丘瓶割山にある。
山頂部の、ほぼ中央部にある主郭を中心に、北・南・東の三方向へ伸びる尾根上に曲輪を配し、要所は大規模な堀切や竪堀で防御を固めている。
瓶割山城で特徴的なのは、主郭南西部側面に残る高さ約6mもある石垣をはじめとして、他にも石垣が築かれていたと思われることだ。
柴田勝家が入った時のものであろうか?
当城には、他にも、主郭西側の堀切に架かる土橋等々、登城前に想定していたよりも遥かに見どころの多い城跡だった。
(2010/12/05登城して)
ギャラリー
瓶割山城城縄張略図(現地説明板より) ~クリックにて拡大画面に~
瓶割山城は、山頂部のほぼ中央部にある主郭を中心に、北・南・東の三方向へ伸びる尾根上に曲輪を配し、
要所は大規模な堀切や竪堀で防御を固めている。
主郭南西の石垣、堀切、土橋
日吉神社方面から25分ほど登ってくると、この主郭(左上)と二の郭(右側)の間の堀切(右)へ出る。
主郭南西面(左)には高さ約6mほどの石垣(TOP写真と同じ)が確認できる。また、堀切に土橋(右上)が架かっているのも見える。
主郭と二の丸間の堀切
頂部に土橋が架かっている。
主郭と二の丸を繋ぐ土橋
主郭
主郭は南北約55m、東西約65mの不正形で、東(右)側土塁下には帯曲輪は設けられ、
そこからさらに三段の曲輪が設けられているそうだが、かなりの藪だったので進入を断念した。
主郭からの眺望
主郭は周囲を木々に囲まれている為、眺望が良いとは言えないが、西側に一部だけ開けており、水茎岡山城
(左の小山)と近江八幡城(右)を望むことができる。
井戸跡
主郭北の方にある三の郭方面へ向かうと、石で組まれた井戸跡がある。この奥は、八角平~三の郭へと続く。
崩れた石垣の石?
井戸跡下辺りには、大きな石が散乱しており、往時は石垣が組まれていたものが、破城の時に崩されたのだろう?
三の郭方面の堀切?
三の郭方面には、堀切や竪堀のような地形が多いが、それが自然のものか人工的なものか判断が難しい。
二の郭
一旦主郭へ戻り、先程の土橋を渡って南尾根の二の郭方面へ向かう。二の郭は、南北に細長い郭で、
東側下に腰郭を備えているようだった。
二の郭南端の堀切
二の郭の南端には大規模な堀切が切られている。
二の郭南端下の石垣
大堀切へ降りて行くと、石垣を確認。二の郭への虎口石垣だろうか?
南尾根最南端の郭へ
大堀切から、さらに南の郭へ向かうと、両側に竪堀が確認された。
竪堀
最南端の郭周辺には4本の大規模な竪堀が確認される。例によって、竪堀の写真は難しい(汗)。