大森陣屋跡の碑
出羽山形の名門最上氏が山形領を没収された後に築いた陣屋
所在地
滋賀県東近江市(八日市市)大森町
【アクセス】
県道170号線「大森町信号」を南へ曲がるとすぐ左手(東側)に石碑がある。玉緒小学校の東側になる。
玉緒小学校:東近江市大森町980、電話 0748-22-2802
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 宅地
【遺構等】 石碑、移築門(石塔寺)、移築玄関(長福寺)
満足度
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訪城日
2003/02/23
歴史等
出羽山形57万石の藩主最上義俊は元和3年(1617)に家督を相続したが、11歳の幼少の上に我儘な性格で家老の諌言に耳をかそうともしなかったこともあり、家臣のうちには叔父義忠(義光の三男)に家督を譲ることを望む者もいて、義俊を擁護する家老松根光広らと対立した(最上騒動)。
そのため、老中酒井忠世が義俊の所領をいったん没収し、新たに祖父義光の功績に免じて6万石を与え、今後は家臣が一致して義俊を補佐し、義俊が成人した際、再び本領を返還せよとの寛大な処置が下されたが、義忠らはこの処置を断った。
このため、元和8年(1622)、山形領は全部没収され、改めて近江国蒲生・愛知・甲賀の3郡と河内国内において1万石を与えられ、蒲生郡大森に陣屋を構えて立藩した。
義俊は寛永8年(1631)に没し、嫡男義智はわずか1歳であったため、5千石を減封されて交代寄合となり、廃藩となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は、宅地となり何も残っておらず、道端に立派な石碑が立つのみである。
石碑の背後の町並みは、商家が多いのだろうか、立派な蔵を持つ家が多く、昔の佇まいをよく残している。
尚、陣屋の表門が蒲生町の石塔寺に移築され、また、陣屋の玄関が東近江市(八日市)大森町の長福寺に移築されているとのことである。
(2011/02/23訪れて)
ギャラリー
石碑の背後の町並みは、商家が多いのだろうか、立派な蔵を持つ家が多く、昔の佇まいをよく残している。