備中 冠山城(岡山市)

冠山城全景

秀吉の高松城水攻めの前哨戦で落とされた城、毛利方の境目七城の一つ

読み方

かんむりやまじょう

所在地

岡山市北区下足守2026
【アクセス】
三仙寺の裏山が城跡で、登城口は、国道180号線と国道429号が交叉(三叉路)する「小山信号」から国道429号線を2.5km程北上し、「あしもり内科クリニック」と「コンビニ(ファミリーマート)」のある交差点を右折し、300mほど行くと左手に登城口(案内板有)がある。車は、コンビニ(ファミリーマート)の駐車場を拝借した。尚、三仙寺からは登れない。
三仙寺:北区下足守086-295-0476

所要時間

コンビニ(ファミリーマート)から本丸まで約8分

形状

山城(標高40m強、比高約30m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、溜め井、石碑、遺構案内板、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2012/01/08

歴史等

冠山城は、築城時期・築城者ともに不明であるが、足利将軍の執事職高家の一族河津左衛門尉氏明が築いた(『備中府史』)とする説と、天正年間頃(1573~92)まで同地に広大な寺領を有していた宝福寺の禅寺守福寺にかかわる人物が築いた(『吉備郡史』)とする説がある。
当城が、歴史に名を留めるのは、秀吉による高松城攻めの前哨戦の城としてである。
毛利氏は、備中における前線基地として、北から宮地山城・冠山城・高松城・加茂城・日幡城・松島城・撫川城の7城を構えていた。
天正10年(1582)3月15日、秀吉は2万の兵を連れて姫路を出発し、4月2日岡山につき、宇喜多の兵1万と合わせて3万の兵をもって備中に侵攻した。
秀吉は、7城の中で、主城の高松城を一つだけにする作戦をたて、宇喜多軍を先陣として7城の攻略を開始した。
4月上旬、最北の宮地山城を落城させると、4月17日には冠山城に向かった。備前勢が冠山城を落としたいと希望したので、秀吉はこれを許した。
冠山城には、高松城主清水長治の与力林重真・鳥越左兵衛、松田左衛門尉らが籠城していた。初めのうちは、高を括っていたが、城兵は大敵にもひるまず、弓・鉄砲などで応戦し、備前勢に多数の負傷者や死人が出て、一旦は退却を余儀なくされた。
しかし、停戦中の4月25日に、冠山城で不慮の火災が発生し、城内は騒然となった。この事態につけ込んで加藤清正が一番に城に討ち入って高名した。
備前勢は一気呵成に大手の城戸を破って侵入し、林重真は自害、冠山城は落城した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系13」、「岡山市ホームページ」より』

現況・登城記・感想等

冠山城は、水攻めで有名な備中高松城の北西約3.3km、足守川東岸の標高40m強の冠山にある城跡である。
まさに名前の通り冠の形をした平べったい小さな山で、比高差も30mほどしかなく、現状を見る限り、とても秀吉軍(実質は宇喜多軍?)が攻めあぐねた城とは思えない。
縄張りは、山頂部北西端に本丸を配し南斜面に二の丸・三の丸と階段状に配置し、防御は高低差のある段差を基本としているが、要害性は薄いように思われる。往時は、周囲に土塁や空堀などを設けて防御を固めたいたのだろうか?
(2012/01/08登城して)

ギャラリー

冠山城跡登城口
三仙寺の裏山が城跡だが、登城口はちょっと分かり辛い。国道180号線と国道429号が交叉(三叉路)する「小山信号」から国道429号線を2.5km程北上し、「あしもり内科クリニック」と「コンビニ(ファミリーマート)」のある交差点を右折しし、300mほど行くと左手に登城口(案内板有)がある。
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溜め井
登城口から真っ直ぐ城跡へ向かうと、山中へ入る手前左手下に堀跡のような地形があり、水が少し溜まっていた。溜め井の跡らしい。
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三の丸
山中へ入ると、正面奥に「三の丸跡」と書かれた立札が立っている。この辺りの平場が三の丸跡らしいが、竹藪や荒地になっている。
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大手門跡
三の丸跡を真っ直ぐ進むと「大手門跡」の立札が・・・。大手門を入ると二の丸だが、その高低差は1m程度である。
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二の丸から本丸へ
二の丸と本丸の高低差も大したことなく、せいぜい4~5mほどでしょうか?
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本丸
本丸跡には「冠山合戦戦死将兵慰霊碑」と刻まれた石碑と「冠山合戦」についての説明板が立っている。石碑は、高さ3mほどある立派なものである。そこに「加藤六月」の名を見付けて、一緒に行ったMっさん曰く「それほど著名な城址でもないのに、こんな立派な石碑を建てるのは無駄だ。恐らく国費か何か官費を使っているだろうし・・・。地元だから許されるのだろうけど・・・。これでも2~300万円は掛かっているだろう。」と憤慨していた(笑)。
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本丸跡に立つ石碑と標柱
本丸跡には立派な石碑の他に、朽ちかけた標柱が隅っこの木にもたれかけるように立っていた。
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