蓮池公園内に残る蓮池城堀跡
小田氏160年の居城、その後竜造寺氏・鍋島氏の居城、更に蓮池鍋島家の陣屋に
別名
小曲城(こまがりじょう)、芙蓉城
所在地
佐賀県佐賀市蓮池町蓮池、蓮池公園
【アクセス】
佐賀市街から県道20号線を東進し、「蓮池城内」信号を右折し、南進すると、すぐに案内板があり、そこからはすぐです。
形状
平城(江戸期は陣屋)
現状・遺構等
【現状】 蓮池公園
【遺構等】 水堀
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/11/12
歴史等
蓮池城は、応永年間(1394~1427)に小田直光によって築かれたといわれる。以後8代、160年間、小田氏の居城であったが、天正元年(1573)に龍造寺隆信によって小田氏は攻め滅ぼされた。
龍造寺氏の持ち城となった蓮池城には、隆信の弟・長信、従兄弟の家晴が居城した。
その後、佐賀は竜造寺氏から鍋島氏へと権勢が移譲した。天正12年(1584)には鍋島直茂の居城となり、直茂が佐賀城に移ると、嫡男勝茂が入城した。
元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となった。
蓮池藩の成立は、他の小城、鹿島の三家の中で最も遅かった。はじめ、勝茂の五男直澄は、勝茂の家督を相続するはずだったが、小城鍋島や多久安順の強い反対で実現できなかった。
そして、直澄は分家することになり、寛永16年(1639)に本藩の蔵入地を分散割譲され、5万2千600石の蓮池藩主となり蓮池城址に陣屋を構えた。
小田氏が築いた城には天守閣があったが、その天守を直茂が秀吉の名護屋城に献上したといわれる。直澄が城主になると、城の改築にかかり、館形式の陣屋に変容したのである。
以後、蓮池鍋島氏は、佐賀鍋島三支藩(小城・蓮池・鹿島)の一つとして、9代続いて明治に至った。
『「藩と城下町の事典(東東京堂出版刊)」、「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」他参照』
現況・登城記・感想等
蓮池城跡は、蓮池公園として整備され、公園内ではゲートボールに興じる人達が・・・。
周囲を、河川や湖、田園に囲まれたのどかな風景の中にあり、現在も、水の中に浮かぶ城の様子が目に浮かぶようだ。
しかし、実際には、かつて堀の役目をした佐賀江川も、河川改修工事で2分化されたりして、往時とはすっかり変容してしまっているのだという。
(2012/11/12登城して)
ギャラリー
佐賀江川
蓮池城の北側は、天然の外濠・佐賀江川が今も流れる。
佐賀江湖跡
城跡の西側は佐賀江湖跡が。
城跡の東側の池(堀跡?)
城跡の東側も細長い池が。蓮池城跡(蓮池公園)は、今も、北・東・西の三方を堀で囲まれているわけです。尤も、そのさらに外周は縦横無尽に運河のような水路がめぐっている。
公園内
公園内では、今朝も、早くからゲートボールに興じる人たちが。
男山(雄山または小芙蓉山)
公園の南端には築山が築かれている。幕末頃には、この南側に練兵場があり、洋式練兵がなされ、築山上は藩主や重役方の指揮所に使用されていたという。
男山上から東方面を
男山の上から東の方を見ると、堀の向こうはだだっ広い田園地帯である。この蓮池城跡は、周囲を、河川や湖、田園に囲まれたのどかな風景の中にあるのです。
男山上から公園内を
公園は綺麗な庭園になっており、あちこちに池が点在しています。まさに、水の中に曲輪が浮かんでいるようです。