山麓から見上げる模擬天守
虹ノ松原を見晴るかす山上にそびえる天守は模擬天守とはいえ一幅の絵のよう
別名
舞鶴城
所在地
佐賀県唐津市東城内
形状
平山城
現状・遺構等
現状:本丸跡は舞鶴公園
遺構:模擬天守、模擬櫓、門、石垣、曲輪
満足度
?????
歴史等
唐津城は、慶長7年(1602)から寺沢広高が満島山に7年の歳月をかけ築城、同13年(1608)に完成した。建材は名護屋城や岸岳城から運んだと伝えられる。
寺沢広高は、文禄4年(1595)に豊臣秀吉から唐津を拝領し、築城までは岸岳城の脇城である田中城(北波多村)に居た。築城後は唐津城主として過ごしたが、正保4年(1647)寺沢氏は天草の乱の責を受け、2代32年で断絶。
一時幕領となるが、つづいて、大久保氏の2代・30年、松平氏の3代・14年、土井氏の4代・72年、水野氏の4代・55年、そして最後に文化14年(1817)に小笠原長昌が、奥州棚倉藩から入り、5代・52年で明治2年(1869)の版籍奉還を迎えた。
『日本100の城(日本交通公社刊)、日本城郭大事典(新人物往来社刊)参照』
現況・登城記・感想等
当日、福岡から長崎へ名護屋城経由で向かう途中に、丘陵上にある天守閣が見えた。
唐津城には天守台は造られたものの天守閣は建てられなかったので、典型的な模擬天守である。しかし模擬天守とはいいながら、その光景は素晴らしい。残念ながら時間がなく、登城は出来なかった。いつか機会があったら登城したいものである。
(1995/11/24)