城跡の尼ヶ城公園に立つ石碑
島津家中興の祖島津忠良(日新公)の隠居の城
読み方
かせだじょう
別名
別府城
所在地
鹿児島県南さつま市加世田武田、尼ヶ城公園
加世田幼稚園の南方200~300mほど。
加世田幼稚園:南さつま市世田武田18334番地、電話0993-52-2029
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 尼ヶ城公園、宅地ほか
【遺構等】 石碑、説明板
満足度
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歴史等
加世田城は、平安末期、平家の一族・別府忠明が築城し、加世田開発の拠点とした。
南北朝期には、北朝方の島津氏によって圧迫され、応永27年(1420)には、ついに薩州島津家・久豊の手に帰することになった。
久豊の4代あとの実久は、島津宗家14代勝久の跡目をねらい、相州家島津忠良(日新斉)と激烈な争いを繰り返したが、その争いは、この加世田城の攻防をもって本格的に開始されたという。
天文7年(1538)、忠良(日新斉)は実久方の将・大山内蔵介の守る加世田城を猛攻してついにこれを陥れた。
のちに、忠良(日新斉)は、加世田を隠居の地とした。
江戸時代は加世田城の麓に、加世田麓が形成された。
『「日本城郭大系18」、「現地説明板」他より』
現況・登城記・感想等
加世田城は、 往時は東城と新城とからなり、それぞれが本丸・二の丸・三の丸を備えるという大規模な城であったというが、宅地開発のため、往時の面影は全くなく、尼ヶ城公園として石碑が建てられているのみである。勿論、遺構も残っていない。
(2012/11/16訪れて)