鹿児島城御楼門跡前の橋と堀
島津氏77万石の本城
別名
鶴丸城
所在地
鹿児島県鹿児島市城山町(黎明館)
黎明館一帯が城跡で、黎明館の南西側に無料駐車場有り
黎明館:鹿児島市城山町7−2、電話099-222-5100
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 黎明館(県歴史資料センター)
【遺構等】 石垣、堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/11/17
歴史等
関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)、島津家18代家久は、上山城の補修と、その山麓に居館を築くことを思い立ち、父・義弘の「ここは海に近すぎて危ない」との反対を押し切って着工する。
まず、居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、慶長11年(1606)に城の前の橋が完成したとされる。
また、藩内の各所には郷士団が守る外城がめぐらされていた。
城下は、城を中心に武家屋敷、その外側に上町6町、下町12町、西田町4町が設けられ、5千人余りの町人が集められたが、圧倒的に武士の多い城下町であった。
明治維新後には、熊本鎮台分営として使われたが、明治6年(1873)兵営内から出た火で炎上した。
『現地説明板他より』
現況・登城記・感想等
鹿児島城は、建物遺構は全く残っておらず、石垣と堀に往時を偲ぶだけであるが、「正門の枡形」と「御楼門跡付近の石垣と橋と堀」の姿は、なかなか風情がある。
とはいえ、島津7万石の本城としては、少し物足りないかな?
(2012/11/17登城して)
ギャラリー
御楼門跡前の石垣と橋と堀
鹿児島城は、島津77万石の城跡としては少し物足りないが、城の正面に当たる、この御楼門跡前の枡形石垣と堀に架かる橋の姿はなかなか風情がある。
正門の枡形
堀と石垣(南東部)
堀と石垣(東角部)
北御門前の石橋