麓の面影が僅かに残る国分中央2丁目の町並み
江戸時代に薩摩藩で形成された麓(外城)の一つ
所在地
鹿児島県霧島市国分中央2丁目、4丁目
【アクセス】
国分高校や国分小学校の南西一帯が麓跡です。
国分高校:霧島市国分中央2-8-1、電話0995-46-0002
現状・遺構等
【現状】 宅地
【遺構等】 石垣、生垣
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/12/01
歴史等
江戸時代、薩摩藩は、元和元年(1615)の一国一城令により、鹿児島城(鶴丸城)以外の城は全て破却し、それに代わるものとして、外城 (とじょう)と呼ばれる行政区画を設け、「御仮屋」とか「地頭仮屋」といわれる在地役所を中心に、その周囲に犬槙の生垣、石垣造りの郷士屋敷の集落「麓」を形成した。
薩摩藩内にある100を超える麓(時代により増減があったが、寛永16年には113ヶ所)のうちの一つである国分麓は、島津義久が最後に居城した舞鶴城の隣接地(現国分高校?)に地頭館を置き、清水麓、重久麓、敷根麓の各地頭館と並んで国分郷の政治と警備の中心として幕末にいたっている。
『「日本城郭大系18」、「舞鶴城跡説明板」他参照』
現況・登城記・感想等
国分麓は、あまり良好に残っているとはいえませんが、現在の国分中央2丁目、2丁目辺りに、石垣や生垣のある武家屋敷があり、僅かに麓の面影があります。
(2013/12/01訪れて)