13世紀初頭にケルンの大司教により築城、17世紀に破壊後は廃墟に
ドイツ語名
Ruine Fürstenberg
所在地
ラインラント・プファルツ州ラインディーバッハ(Rhein diebach)
現状
個人所有(内部見学不可)
歴史等
フュルステンベルク城は、1219年、バッハラハ周辺の司教区所轄物を守るためにケルンの大司教によって建てられた。
1215年に宮中伯領地がヴィッテルスバッハ家に移行した後、同家が城の封土を求め、1243年にケルンの大司教がこれを容認した。
1410年には、プファルツ選帝領地に帰属することになった。
1620年にはスペイン軍、更に1632年にはスウェーデン軍が攻略し占領した。
プファルツ継承戦争中(1688~90)、城はフランス軍の攻撃によって壊滅し、その後は廃墟と化したままになり、現在は個人の所有物になっている。
『現地購入ガイドブック他より』
現況・感想等
ニーダーライムバッハの丘の上のハイムブルク城を見たあと、前方(北)を眺めるとブドウ畑の山の中腹にフュルステンベルク城が見える。
プファルツ継承戦争(1688~90)時に、フランス軍の攻撃によって壊滅して以来、廃墟になったままだという。
しかし、その肌色っぽくて明るい色は、元々の彩色を示唆する漆喰壁の跡がそうさせるのか、とても廃墟には見えないし、私好みの城址だ(^-^)。
城の周囲のブドウ畑と背後の山並み、麓のきれいな町並み、ラインの流れとそこを行き交う船・・・。ゆったりと時間が流れるようなこれらの光景は、時間さえあればいつまでも眺めていたいくらいだ。
尚、ラインシュタイン城から、このフュルステンブルク城までは、左岸だけで20分ほどの間に5つの城が次から次へと現われ、嬉しいやら、忙しいやら・・・(^-^)。
(2010/09/17、ライン川クルーズにて)
ギャラリー
ライン川クルーズ ~Wクリックにて拡大画面に~
ライン川下りは、終点のケルンまで延々と続くが、旅行社のパック旅行によるライン川クルーズは、リューデスハイムから乗船し、ザンクト・ゴアで下船するのが一般的なようである。そして、この間が、最も見どころが多いようで、城も密集している。
前方(北)の山の中腹に城址が・・・
ニーダーライムバッハの丘の上のハイムブルク城を見たあと、前方(北)を眺めるとブドウ畑の山の中腹にフュルステンベルク城が見える。プファルツ継承戦争(1688~90)時に、フランス軍の攻撃によって壊滅して以来、廃墟になったままだという。
廃墟だというが・・・?
その肌色っぽくて明るい色は、元々の彩色を示唆する漆喰壁の跡がそうさせるのか、とても廃墟には見えないし、私好みの城址だ(^-^)。城の周囲のブドウ畑と背後の山並みや、麓のきれいな町並みと相俟った光景は素晴らしい。
ゆったりした時間が流れる光景
そして、ライン川を行き交う船が、何とも言えず、ゆったりした時間の流れを演出する?時間さえあれば、いつまでも見ていたい光景だ。