ヴェルサイユ宮殿(ヴェルサイユ)

ヴェルサイユ宮殿の正殿

ルイ13世が築き、ルイ14世によって大改築された豪華な宮殿

フランス語名

Château de Versailles

所在地

イヴリーヌ県ヴェルサイユ78000

訪城日

2011/06/18

歴史等

狩りの獲物の多い森のあるヴェルサイユの森に注目したルイ13世は、1624年、この地に狩猟の館を手に入れ、1631年に城館を建てた。
しかし、本格的に造営に取り組んだのはルイ14世である。1661年に太陽王ルイ14世の親政が始まると、大規模な工事を開始し、絶対王政の中心地として、またその富と権力の象徴として、ヴェルサイユを生まれ変わらせた。工事はルイ14世時代最後の建造物である王室礼拝堂が完成する1710年まで、50年間にも渡って行われた。
そして、さらにルイ15世へと引き継がれ、さらに数々の建造物や庭園等が付け加えられた。
ルイ16世の時代になると、財政問題やフランス革命の勃発により、これらの工事を続けることは難しくなったが、一部、造園をした。
1789年10月6日、国王一家は宮殿からパリのチュイルリーに連行され、フランス革命によりヴェルサイユは使命を失い、宮殿内の家具調度品や芸術作品も散逸した。あとに残ったのは、手入れの行き届かない庭園と美術館としての利用が検討された建物だけとなった。 1806~1807年、そして1810年に、ナポレオンはヴェルサイユ宮殿の修復と家具調度品の再整備を始めたが、それが完成したのはルイ18世の時代になってからであった。 1814年から1824年にかけて、ルイ18世は宮殿の修復をしたが、後継者シャルル10世はこの修復作業を継続しなかった。 1830年に7月革命が勃発すると、ヴェルサイユは放棄され、破壊されるのではないかと懸念されたが、ルイ14世の弟殿下の末裔にあたるルイ・フィリップが、宮殿をフランス歴史美術館にすることを提案して危機を救った。1833年から1837年にかけて改築工事が行われ、1837年に開館された。
第2次世界大戦後は、現存する居殿を正確に復元して家具調度品類を整備し直された。
『現地購入誌「VERSAILLES・ヴェルサイユ見学」他より』

現況・登城記・感想等

ヴェルサイユ宮殿の印象は『金ぴか』の一言w(*゚o゚*)w。豪華といえば、これほど豪華な宮殿は他にないだろう。
ヴェルサイユ宮殿は、3つの宮殿と庭園、大庭園とその他の建物からなり、その敷地面積は800ha、道の全長20km、囲い塀20km、運河の全長35km、、屋根の総面積11ha、部屋の数700、窓の数2,153、階段数67、樹木20万本以上・・・・・という途轍もない規模だ!!
今回は、旅行社のツアーについて廻ったが、どの部屋も「ただただ豪華だ」という印象しかなく、その間、一体何処にいるのかさえ分からない始末だった(/。ヽ)。
おまけに、現地ツアーよりも3倍近く高い価格設定にも関わらず、この宮殿の最大の見どころでもある庭園見学もなく帰ってきただけだ(;>_<;)。
大体、これほど広い宮殿を僅か2時間ほどで廻ろうということ自体が無謀だ!?
まあ、兎に角、豪華な宮殿だということだけは分かった(苦笑)。そして、贅の限りを尽くした家具調度品や絵画、とりわけ天井画が見事で、頸椎症の私としては、上を向きっぱなしだったのが辛かった(;´▽`A``。
(2011/06/18訪れて)

ギャラリー

アルム広場にて
ヴェルサイユ宮殿前にアルム広場があり、その手前(写真奥)には、まるで宮殿のように立派な大厩舎(写真左奥)と小厩舎(写真右奥)が建っている。建築の粋をこらし、彫刻装飾も一級品であったため、「フランス国王のお抱え馬は、ヨーロッパ諸国の大公よりもいい家に住んでいる」と言われたそうだ。大厩舎では300頭近い馬が戦争や狩りに備えて調教され、小厩舎では馬車や荷馬が調教されていた。厩舎内には調教場や使用人の住居や、近習たちの訓練場があった。
アルム広場にはルイ14世の銅像(写真正面奥)と蹄鉄を模したようなオブジェが立ち、絵ハガキなどを売る人(ほとんどというか、全員黒人だったような)が待ち受けていて、避けて通るのが大変?

厩舎

ルイ14世の銅像
銅像

第1の鉄柵門
アルム広場には鉄柵門があり、ここから正面内庭へ入って行く。
門1

正面内庭
第1の鉄柵門をくぐり正面内庭へ出ると、金色の第2の鉄柵門や宮殿が・・・。
広場1

第2の鉄柵門
眩しいような金色の第2の鉄柵門は閉められている。この門は、正面内庭と王の内庭(門の向こう側)を区切り、「王の住居」の境界を示すものであったという。門の前は写真を撮る人が入れ替わり立ち替わり・・・。
門2

正殿
門の隙間から写真を・・・。一部修理中なのが惜しいが、「豪華」以外の言葉が見付からない。
ヴェルサイユ1

ズームアップ
ヴェルサイユ2

団体入場棟と王室礼拝堂
個人の入場口は左(南)側の棟にあり、団体入場口は右(北)側の棟(写真左の建物)になり。右側の建物が王室礼拝堂で、周囲の彫刻も素晴らしい。
王室礼拝堂1

【宮殿内】
今回は、旅行社のツアーについて廻ったが、どの部屋も「ただただ豪華だ」という印象しかなく、その間、一体何処にいるのかさえ分からない始末だった(/。ヽ)。帰国してから現地購入誌で調べたら、宮殿の2階を時計と反対廻りに見て歩いたことが分かった( ̄ー ̄;。家具調度品や絵画、彫刻もさることながら天井画には魅入ってしまった。
(ヘラクレスの間)

入場し階段を上がると「ヘラクレスの間」へ出る。この広間はヴェネチア共和国からルイ14世に贈られたヴェロネーゼ作「パリサイ人シモン家の宴」を飾るために、1682~1710年まで第4礼拝堂のあった場所に造られた。改装作業は1712年に開始され、フランソワ・ルモワンヌによる天井画「ヘラクレスの神格化」が完成した1736年に終了した。
ヘラクレスの間3

ヘラクレスの間1 ヘラクレスの間2

(王室礼拝堂)
宮殿附属の礼拝堂の伝統を踏襲してこの礼拝堂も2層になっている。階上席は国王の王族、宮廷要人の席で、1階はそれ以外の信者を受け入れた。天井画は旧約聖書からテーマを得て、三位一体の神秘を表現している。
王室礼拝堂

(豊饒の間)
この部屋には、かつてルイ14世の貴重な所蔵品が置かれていたという。
豊饒の間1 豊饒の間3

(ヴィーナスの間)
夜会の際に軽食をとる場所として使われた。統治者を称えるジャン・ヴァラン作「ローマ皇帝姿のルイ14世全身像」が置かれている。天井の楕円部には、この広間の名前の由来となったルネ・アントワーヌ・ウアス作「神々と強大国を従わせるヴィーナス」が描かれている。
ヴィーナスの間1 ヴィーナスの間2

(ディアナの間)
ビリヤードの名手だったルイ14世は、金の房飾りのついた深紅のビロードの絨毯で覆われたこの部屋の中央に大きなテーブルを置いてビリヤード台として。この部屋の装飾は全てディアナ女神の伝説に関するものである。
ディアナの間1 ディアナの間2

(マルスの間)
この広間は、1682年まで衛兵の間として使用されていたが、後にここは夜会の際に音楽会を開く場所となった。
マルスの間1 マルスの間2

(アポロンの間)
ヴェルサイユは、「王座の間」のある最初の王宮となった。当初の高さ2.6mもあった銀製の玉座は1689年に溶解され、ルイ15世時代に金箔付きの木製の玉座に代えられた。また、この広間は、接見にも使用された。
アポロンの間1 アポロンの間2

(アポロンの間、㊧ルイ14世肖像画、㊨ルイ16世肖像画)
アポロンの間には、有名なリゴー作「ルイ14世肖像画」とカレ作「ルイ16世の肖像画」が飾られている。
アポロンの間3 アポロンの間4

(戦争の間)
戦争の間は、オランダ戦争でのルイ14世の勝利をテーマとしている。メダイヨン(円形薄浮彫肖像)には、オランダ戦争中にフランス軍がライン川を渡った際の、ローマ皇帝の扮装をした馬上のルイ14世が描かれている。
戦争の間1 戦争の間2

(鏡の回廊)
あまり室内装飾等には興味のない私だが、さすがにこの「鏡の回廊」だけは、その華麗さに度肝を抜かれた。
鏡の間は、ルイ13世の時の小さな城館を、1678年からルイ14世により大改築が進められ、1686年に完成したもので、特別な使節を迎えた時に、アポロンの間にある玉座をここに移動させたという。また、ここで王家の結婚式の際に催される盛装舞踏会や仮面舞踏会など大きな祭典も行われたという。

鏡の回廊1

鏡の回廊2

(平和の間)
戦争の後に訪れる平和を表現している。この部屋は、かなり早い時期に王妃の居殿の一部となり、娯楽の間として使用され、音楽の演奏会が催されたりした。
平和の間

(王妃の寝室)
王妃は、この部屋で王位継承者を出産した。マリー・アントワネットの部屋付き第一夫人のカンパン夫人の「回想録」に、助産婦ヴェルモンがうわずった声で「王妃がご出産です」というのを聞くと同時に多くの人が寝室に入って騒がしくなり、王妃が亡くなるのではと思われるほどで、2人のサヴォワ人などは、お産用ベッドの横たわる王妃を一目見ようと家具の上にのぼる始末であったとあるそうだ。
王妃の寝室

王妃の寝室2

(貴人の間)
この広間では、フランス王妃による公式な接見や新たに宮廷に迎えられた婦人たちの紹介が行われた。天井画には、メリクリウスの寓話が描かれている。
貴人の間 貴人の間2

(大会食の間)
王妃マリー・テレーズの時代に、この広間は「王妃の衛兵の間」だった。王妃への謁見がかなった招待客は、ここで辛抱強く待った後、「貴人の間」か「寝室」に通された。また、この間は、コンサートや芝居にも利用された。1764年1月1日に、ルイ15世とマリー・レクザンスが幼少のモーツアルトと共に食事をしたのが有名である。

大会食の間

(大会食の間、マリー・アントワネットと3人の子供たち)
大会食の間に飾られている絵画の中で最も有名なのは、ヴィジェ・ルブラン婦人が1787年のサロンで発表した大作「マリー・アントワネットと3人の子供たち」である。
大会食の間2

(王妃の衛兵の間)
この部屋には、常に王妃の衛兵が待機していた。1789年10月6日の朝、多くの衛兵が王妃を国王のもとへ逃すためにここで戦い、命を失った。
衛兵の間

(戴冠の間)
当初、この場所には宮殿の第3の礼拝堂があったが、1682年に宮廷と政府が正式にこの地に移されると、ここは「王と王妃の衛兵の大広間」となった。現在の部屋の様相は、ルイ・フィリップ時代のもので、「戴冠の間」という名称も、彼がここにダヴィッド作「1804年12月2日、ナポレオン1世の戴冠」の絵を置いたことによる。これとほとんど同じ作品が、ルーヴル美術館にも飾られている。このヴェルサイユ宮殿にある作品は、ルーヴルの作品の複製である。複製といっても、作者は同じくダヴィッド。
戴冠の間

(王の寝室)
王の寝室

(大理石の中庭を)
中庭


【庭園】
今回のツアーは、現地ツアーよりも3倍近く高い価格設定にも関わらず、この宮殿の最大の見どころでもある庭園見学もなく帰ってきただけだ(;>_<;)。
(水の前庭)
この写真は、鏡の回廊から眺めたものである。
水の前庭

(北花壇)
この写真は、戦争の間から眺めたものである。
北花壇

(南花壇)
この写真は、王妃の寝室から眺めたものである。
南花壇2

(南花壇)
残りわずかな自由時間に、南花壇の前まで行って撮影。広大な庭園見学が、これだけとはミジメ(/。ヽ)。
南花壇

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント