ライン川中流で唯一破壊されず、中世の造りを残す城
ドイツ語名
Marksburg
所在地
ラインラント・プファルツ州ブラウバッハ(Braubach)
現状
博物館、レストラン
歴史等
マルクスブルク城は、エップンシュタイン家により、1100年頃に築かれたと云われ、1283年にカッツェネルンボーゲン家が相続し、
増築を重ねて、難攻不落の城塞に仕立て上げた。
同家が、1497年に断絶したあと、ヘッセン方伯家がラインフェルス城やカッツ城とともに、
この城も獲得し、17世紀に入って大砲が長足の進歩をとげたのに合わせて、外郭に堅固な堡塁を付け加えた。
そして、度々戦争があったにも関わらず、この城だけは無傷で残った。1803年にナポレオンは、この城をヘッセン方伯から取り上げ、
自分と友好関係にあったナッサウ侯家に与えたため、ナポレオン軍による爆破も逃れたのである。
1866年にはプロイセンが所有することとなり、1900年に皇帝ヴィルヘルム2世が、ドイツ城郭保持連盟に移譲し、現在に至っている。
『「現地購入ガイドブック」、「ライン川を巡る旅・紅山雪夫著(実業の日本社刊)」他参照』
現況・感想等
ザンクト・ゴアからバスに乗ること約20分、道の正面に教会が見え、その上にマルクスブルク城(Marksburg)が聳えている。
マルクスブルク城は、ライン河谷に数多くある城の中で、唯一、一度も敵に攻略されたことがなく、中世そのままの造りを伝えているという。
1900年以来、ドイツ城郭協会が所有して保存と修復に努めるとともに一般公開をしている。
当城は、2重の外郭に囲まれ、その真ん中にホッホブルク(高い城という意)がある。日本の城でいうところの本丸にあたるであろう。
城門はぜんぶで5重になっており、それを一つ一つ突破しないと本丸に入れない。最初にあるのが跳ね橋門で、次が屈曲したトンネル状の通路で、
侵入してきた敵を狙い撃ちにできる仕掛けである。続いて3層に重なり合っている城壁と搭の下を通り、4つの城門を次々にくぐって本丸に進む。
本丸は、岩山の地形に合わせて三角形をなしており、その中心に高さ39mのベルクフリート(日本の城でいう天守閣か)が聳えている。
その出入口は地面より8mも高い所(3階)に設けられていて、外から梯子を掛けて登り降りする仕組みであった。
本丸の搭の1つには聖マルコに捧げられた礼拝堂があり、マルクスブルクの名はここから生まれたという。
実に、見事というか、まさに難攻不落の城といえるであろう。残念ながら、勿論バスから見上げただけでは、それほどの城には見えないし、
分からない。
ここまで見てきたライン川沿いの数多い古城の中には、いつか登城したいと思わせる城が幾つもあったが、その中でも筆頭だ。「いつか、
必ず登城」を胸に、バスが通り過ぎる僅かな時間を・・・。
『ライン川を巡る旅・紅山雪夫著(実業の日本社刊)他参照』
(2010/09/17)
ギャラリー
正面にマルクスブルク城が見えてくるが・・・
ザンクト・ゴアからバスに乗ること約20分、マルクスブルク城が教会の真上に見えるが、
教会が邪魔をして写真を撮りづらい(汗)
益々、協会が邪魔(苦笑)
近づくにつれ、益々、
協会が邪魔をして城は隠れてしまう(^_^;) 道がカーブしているから、
曲ったところで撮れるだろう(^-^)
今度は、道端の木々が邪魔・・・(汗)
今度は、道端の木々が邪魔(>_<)
/
それでも、何とか撮って、それを切り取ってTOP写真を・・・
w(*゚o゚*)w
当然、ここから見上げるだけでは、
幾重もの城壁や城門等々の鉄壁の城の様子は分かるわけない。いつか、必ず登城をしたいものだ。