大村城(富山市)

上杉謙信の越中侵攻に対抗し、浜街道の防備の要として轡田豊後守が立て籠もった城

所在地

富山県富山市海岸通(瑞円寺)

形状

平城

現状・遺構

現状:瑞円寺、個人宅
遺構等:土塁?、堀?、説明板

満足度(10点満点)

2点

訪城日

2007/06/07

歴史等

戦国時代末期(16世紀後半)越後の上杉謙信が越中に攻め入り、越中勢力がこれに対抗していた頃、 浜街道の防備の要として轡田豊後守がこの城にたてこもり、上杉勢の侵攻に備えた。
天正6年(1578)上杉勢は、大村城内の様子を伺うため、日方江に高台を築き、この城を見張った。 間もなくして大村城は上杉方に攻め落とされたという。
城跡は約1万500㎡の広さで、周囲には堀をめぐらした跡があり、元はもっと広かったと推定されている。城跡には現在、 曹洞宗瑞円寺が建立されている。同寺には轡田氏の位牌と豊後守が平素信仰していたという阿弥陀仏が残されている。 轡田豊後守の墓は瑞円寺の北側の浜街道に面して建つ精霊塚と言われている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

大村城址は、瑞円寺と個人宅となっており、お寺の裏の竹薮に土塁跡が残っているが、そうとして見なければ見逃すほどである。私には、 はっきりとは分からなかった。
また、その竹薮の北側の道に沿って堀の痕跡らしき地形が認められるが?、これも微妙。
個人宅にも同様な土塁や堀跡等の痕跡があるようだ。
お寺の方に許可を頂いてから見学したが、お寺の方も不思議そうな顔をしながら、「土塁とは云っても、分からないかも知れませんよ」 とのことであった。見学後、「ご尤も」と思った。
(2007/06/07登城して)

ギャラリー

土塁?
お寺の裏の竹薮に土塁跡が残っているが、そうとして見なければ見逃すほどである。私には、 はっきりとは分からなかった。

土塁?と堀跡?

竹薮北側の堀跡?

遠景(右奥の森は、日方江城址

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント