越中 小出城(富山市)

城跡と推定される小出神社

織田(佐々)方と上杉方が戦火を交えた前線基地の城

所在地

富山県富山市小出地内(小出神社)

形状

平城

現状・遺構等

現状:田園
遺構等:説明板のみ

満足度

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訪城日

2007/06/07

歴史等

小出城は、標高3mの微高地ではあるが、南北20間(約44m)、東西33間(約66m)の3方深沼に囲まれ、西側は小出川 (現在の白岩川)が流れる要害であった。
天文14年(1545)式部大輔唐人兵庫が越後の長尾為景に破れ、ここに居を構えたのが始まりと伝えられる。
その後、永禄9年(1566)、揖美庄(弓庄)助五郎が一時ここに拠ったが、上杉謙信に攻略され、 以後は上杉方と織田方との攻防の舞台となった。
天正9年(1581)の「小出城の戦い」では、織田方の佐々成政勢と越後の上杉景勝勢が戦火を交えた。
織田・上杉両勢力の境界上に位置していた城で、前線基地としていずれの勢力からも重要視されていた平城である。
城は、現在の小出神社周辺にあったと伝えられているが、城跡は水田・宅地化され、 具体的な位置や規模などはこれまで明らかになっていなかった。
しかし、小出神社の北約150mの県道拡幅に伴う発掘調査と、北に隣接する水田の試掘調査により、堀や井戸、 土杭などの遺構や遺物等が見つかった。
これらの遺構や遺物の出土状況、周辺の地形・旧割地などから、小出神社北側の南北270m、東西150mの範囲を「推定 小出城域」とした。
『「安田城跡資料館内印刷物・富山市の中世城館2(2007/5/30発行)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

のどかな田園地帯に小出神社があり、そこに説明板があるのみ。
翌日、安田城址に行ったら、平成15年~16年の発掘調査の成果について安田城跡資料館に展示がされていた。
(2007/06/07登城して)

ギャラリー

小出神社周辺ののどかな田園風景

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