本丸東側空堀と大手虎口への木橋
宇都宮氏配下で北辺を守る城は鬼怒川を見下ろす景勝の地に
所在地
栃木県さくら市氏家1323、勝山城跡公園
形状
丘城(崖端城)
現状・遺構
現状:勝山城跡公園、さくら市ミュージアム
遺構等:曲輪、土塁、空堀、大手橋(再建)、説明板、遺構案内板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/06/03
歴史等
勝山城は、鬼怒川を見下ろす(鬼怒川左岸の宝積寺段丘最北端に位置)崖端城として、鎌倉時代末頃~南北朝期(14世紀前半)
に氏家氏4代公宗によって築かれたと考えられている。その後慶長2年(1597)に宇都宮城とともに廃城になるまで、
およそ300年の歴史を持っている。
現在の塩谷町から芳賀町までひろがる氏家郡24郷支配の拠点であるが、また宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす場所であった。
南北朝から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっている。その間に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られる。
現在確認されている城域は、南北約450m、東西は北辺で約325m、南辺で約200mあり、段丘先端部の本丸をL字型に二の丸、
三の丸が囲む連郭式の縄張が想定される。
本丸は菱形に近く、内径で東西80m、南北70mで(土塁外部からは約110m四方)、一周する土塁は本丸の高さから3~5m、
堀底からは7~8mある。 本丸の東南部位に大手口があり、堀内に四脚の橋が架かっていた。
大手北側の櫓台が張り出して横矢掛けの構造を備えている。南西部位の搦手口は土塁の折を利用した横矢掛けの施設と橋がある。
『「現地説明板」、「さくら市ホームページhttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/index.html」
より』
現況・登城記・感想等
さほど期待しないでの登城であったが、全く予想に反して素晴らしい城址であった。
本丸は非常に広く、かなり高い土塁で囲まれていてかっこいい。その土塁の上を散策したら、北西部に「馬踏」という標柱があった。確かに、
この土塁は幅も広く、馬でも歩けるであろう。土塁の外側にはかなり深くて広い堀が巡っている。
中でも、大手口前の堀は、櫓台が張り出していて折があり、大手口へと架かる橋と相俟って素晴らしい光景である。
虎口は本丸南西部にも搦手口があり、こちらは土塁の折を利用した横矢掛けになっており、土橋がある。
その搦手口を出た所から見下ろす鬼怒川の眺望が、また実に素晴らしい。今でこそ水量が少なくなっているが、
往時はまさに天然の巨大水堀であったであろう。
二の丸東郭にはさくら市ミュージアムが建ってしまっているが、二の丸の他の郭は鬱蒼とした森の中に残っているようだ。しかし、
この城址は本丸だけでも充分楽しく見て廻れる。
(2007/06/03登城して)
ギャラリー
本丸東側空堀と大手虎口への木橋 ~クリックにて拡大画面に~
大手口前の堀は、櫓台(手前右)
が張り出していて折があり、大手口へと架かる橋と相俟って素晴らしい光景だ。
㊧本丸虎口への木橋と、
㊨本丸虎口
本丸 ~クリックにて拡大画面に~
本丸は非常に広く、
かなり高い土塁で囲まれていてかっこいい。正面奥が本丸虎口、両側に土塁が見える。
搦手口 ~クリックにて拡大画面に~
本丸南西部にも搦手口があり、
こちらは土塁の折を利用した横矢掛けになっており、土橋がある。
本丸西の空堀
本丸北の空堀
馬踏
本丸を一周する土塁の上を散策したら、
北西部に「馬踏」という標柱があった。確かに、この土塁は幅も広く、馬でも歩けるであろう。
勝山城西側から鬼怒川を見下ろす ~クリックにて拡大画面に~
搦手口を出た所から見下ろす鬼怒川の眺望が、
また実に素晴らしい。今でこそ水量が少なくなっているが、往時はまさに天然の巨大水堀であったであろう。