細川忠興の弟・興元が構えた陣屋
所在地
栃木県芳賀郡茂木町大字茂木151(町民センター)
町民センター:電話0285-63-1137
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:茂木町民センター
遺構等:石碑のみ
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2009/02/19
歴史等
細川藤孝(幽斉)の次男興元は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の時に、兄忠興とともに徳川家康に従って、岐阜城攻撃や関ヶ原の戦闘で戦功をたてた。
しかし、その後、兄忠興と不和になり、忠興の領地豊前小倉を去って京都に在住していたが、同13年(1608)に家康の仲裁で和睦し、
翌14年に2代将軍秀忠に仕え、芳賀郡内に1万石を与えられ立藩し、茂木に陣屋を構えた。
元和2年(1616)、常陸筑波・河内の2郡内に6千石を加増され、のち陣屋を常陸谷田部に移した。
明治4年(1871)、谷田部の知事細川興貫は藩庁を茂木に移し、再度立藩したが、同年7月に廃藩となった。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「現地石柱裏説明文」より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は、茂木町民センターの敷地となり、遺構は全く残っておらず、センター敷地の北西隅の道路脇に「茂木藩陣屋跡」
と刻まれた石柱が立っているだけである。尚、石柱裏側には説明が刻まれている。
(2009/02/19訪れて)