信濃 座光寺北城(飯田市)

座光寺保育園裏に残る本丸と二の丸を区分する空堀(堀底道)

諏訪大祝家「神氏」の一族・座光寺氏の本拠の城

所在地

長野県飯田市座光寺
【アクセス】
座光寺小学校、座光寺保育園、耕雲寺一帯が城跡です。
車は小学校と保育園の間の道路(駐車スペース有り)に停めました。耕雲寺にも参拝用駐車場が有ります。
座光寺小学校:飯田市座光寺1717−3、電話0265-22-1404
耕雲寺:飯田市座光寺1708−1、0265-22-6504

所要時間

今回の見学時間は約35分

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 座光寺小学校、座光寺保育園、耕雲寺等
【遺構等】 土塁、空堀、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2013/11/17

歴史等

座光寺北城の築城時期は定かではないが、室町時代応永年中(1394~1428)以前から座光寺氏及びその支族が居を構えていた。
座光寺氏は、諏訪大祝(おおほり)家「神(みわ)氏」一族で神之峰(かんのみね)の知久氏と同族と考えられている。
天文23年(1554)武田信玄の伊那進攻により落城し、座光寺貞房は、飯田城主・秋山信友に従って美濃岩村城に入った。
しかし、天正3年(1575)織田氏に敗れ、城将・秋山信友らとともに捕殺された。
以来、座光寺は市田郷松岡城の松岡氏の支配下となり、座光寺氏は滅びたと考えられている。
『現地(座光寺小学校前)の説明板より』

現況・登城記・感想等

座光寺北城は、南東へと突き出した台地上にあり、座光寺小学校、保育園、耕雲寺の敷地となっている。座光寺小学校と保育園が本丸(東西南北の曲輪に区画)で、耕雲寺が二の丸だったようです。
小学校などの建設により、遺構はほとんど残っていないが、小学校周囲何箇所かに土塁の一部、保育園の裏(耕雲寺との間)に土塁と空堀が確認できる。
また、小学校前から耕雲寺にかけて西側を流れる「西の堀(堀の川)」は、往時を偲ばせます。
(2013/11/17訪れて)

ギャラリー

座光寺北城縄張図 ~現地(座光寺小学校前)説明板より~
座光寺北城は、南東へと突き出した台地上にあり、座光寺小学校、保育園、耕雲寺の敷地となっている。小学校前に設置された説明板に載っている縄張図によると、座光寺小学校と保育園が本丸(東西南北の曲輪に区画)で、耕雲寺が二の丸だったようです。
座光寺北城縄張図

座光寺北城鳥瞰図 ~現地(座光寺小学校前)説明板より~
座光寺北城鳥瞰図

西の堀
座光寺小学校前から耕雲寺にかけて西側を流れる「西の堀(堀の川)」は、往時を偲ばせます。
西の堀

座光寺小学校前の公園付近に残る土塁
座光寺小学校などの建設により、遺構はほとんど残っていないが、小学校周囲何箇所かに土塁の一部が残っている。
土塁

座光寺保育園裏の土塁と堀底道
この辺りが、往時の遺構が最も良好に残っています。左側の竹藪の中にはかなり規模の大きい空堀が確認できます。この堀底道は、耕雲寺の南端部へ延びています。
堀底道

空堀2
座光寺保育園裏の竹藪内に残る空堀(上写真の左側になります)は、幅約5m、保育園(本丸)側との比高差は3~4mほどあります。
空堀1

空堀2(堀底道)
堀底道の西側半分は、北側に耕雲寺の石垣が築かれていますが、この堀底道も本丸と二の丸を区分けしていた空堀跡と思われます。
空堀2

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