本丸跡に建つ城址碑
藤原秀郷を祖とする四日市赤堀三家の一つ羽津家の居城
所在地
三重県四日市市城山町、城山公園
(近鉄阿倉川駅線路沿いに北4~500mほど)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:公園
遺構等:曲輪、土塁、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2005/05/06
歴史等
羽津城は、藤原秀郷を祖とする赤堀三家の一つ羽津(赤堀)家の城で、15世紀後半、この地を治める藤原(田原・俵)盛宗によって築かれた。
藤原(田原・俵)氏は、もともと上野国赤堀庄に住んでいたが、応永年間(1394~1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたとされる。景信は、長男の盛宗(もりむね)を羽津城に、次男の秀宗(ひでむね)を赤堀城に、そして三男の忠秀を浜田城に配した。世にいう赤堀三家である。
羽津城は、盛宗から近宗まで6代の主の居城となったが、元亀2年(1572)、羽津近宗が滝川一益家臣の茂福城代山口氏に謀殺され、開城。その後、羽柴秀吉と織田信雄の合戦後の和睦により廃城となった。
現況・登城記・感想等
羽津城は、我が家(実家)から直線距離にして400mほどのところにある。
亡くなった親父から伝え聞くところによると、我が家の先祖はその昔(室町時代)に上野国(現群馬県伊勢崎市赤堀)からこの地に、時の殿さんに付いてやってきたとのことであり、そのお城がこの「羽津城」だと聞いたことがある。そういえば、赤堀家の家紋は三頭左巴で、我が家の家紋も同じである。本当かもしれないな。
城址は公園となっているが、近鉄の線路で真っ二つに分断され、線路の上に橋が架かっている。曲輪と土塁が残り、立派な石碑が2基建てられている。
尚、初代城主盛宗が建立して菩提寺とした正法寺が西300mにあり、近年、羽津(赤堀)家6代の墓がたてられた。
ギャラリー
全景
近鉄名古屋線阿倉川駅から線路に沿って4~500mほど北上すると、右手に羽津城址の土塁が見えてくる。
説明板
僅かに残る土塁と石碑
近鉄名古屋線の線路で真っ二つに分断された羽津城址
写真奥に見える橋の両側が城址。
羽津(赤堀)家6代の墓(正法寺内に)
私が子供の頃には無かったが、現住職がいつの間にか建てたようで、墓の後ろには赤堀(羽津)家についての説明板も建てられている。