堀切
四日市浜田城主一族の城、岐阜城に赴いた留守に秀吉に攻略された
所在地
三重県鈴鹿市山本町(西岸寺の裏山)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:土塁、郭跡、井戸?、石垣?、標柱、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/05/04
歴史等
山本城主・山本氏は四日市浜田城主の一族で浜田殿といわれる。
天正11年(1583)神戸信孝に従い岐阜城に赴いた留守に、
秀吉の伊勢攻略に際し、秀吉方の大和郡山城主・
筒井順慶に焼き払われた。
現況・登城記・感想等
椿大社の近くの西岸寺(さいがんじ)の裏山が山本城址である。入口がわからず西岸寺の駐車場に車を置いて、
その小さな山をぐるっと回ったら、何とか入って行けそうなところが見付かり登って行ったら、そこは土塁の上であった。
非常に太い孟宗竹の荒れ果てた竹薮になってはいるものの削平地(本丸跡)をはっきり認識することが出来、
そのまわりを今登ってきた土塁が囲んでいる。嬉しくなって、その竹薮の中を歩き回った。
本丸の脇には一段低い削平地があり、奥の方には削平地(二の丸と思われる)との間をはっきりわかる堀切で区切られている。
説明板によると井戸や石垣が残っているとのことで探したら、本丸跡には井戸跡らしき円く凹んだ部分を見つけた。また石垣は、
墓がありその周りに少しばかりの石積みを発見したが、これがそうかなあ?と半信半疑・・・。
その後、お寺の方より、寺の裏から山へ入れてくれるとのことで、一緒に入って行った。その方によると、
この城は土塁だけで石垣はないとのこと。また、最初に見つけた削平地が本丸跡であることが判明した。
この城址は、全く手がつけられていないので、逆に遺構がよく残されている。
(2006/05/04登城して)
ギャラリー
本丸を囲む土塁
本丸(土塁の上から撮影)と標柱
本丸脇の削平地(左)と本丸奥の削平地(右)
二の丸跡と思われる
城址は本当に太い孟宗竹と筍がいっぱい生えていた。
煙草の箱と比較で太さが一目瞭然
井戸跡?
本丸跡にあった。円くへこんでいるが、多分、井戸跡か?
石垣?
墓の裏側の石垣であるが、当時のものかどうかは疑問である。
山本城址への登り口?横に咲いていたツツジが綺麗だった。
椿大社の近くのこの山本町特有のものか、ほとんどの家の庭に、この真っ赤なツツジが咲いていた。