城址碑と説明札
秀吉が聚楽第を造るまで、京都の政庁とした
所在地
京都府中京区押小路通小川西入北側
形状
平城
現状・遺構等
現城:市街地
遺構等:石碑、説明板
満足度
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歴史等
この付近は、豊臣秀吉の妙顕寺城の故地である。
妙顕寺とは、鎌倉後期、日像がはじめて京都に建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は移ったが、戦国時代にはこの地にあった。天正11
(1583)年9月、豊臣秀吉は寺を小川寺ノ内に移転させてあとに二条新邸を構築し、天正14年聚楽第を造るまで、京都の政庁とした。
建物の姿は詳しくはわからないが、周囲に堀をめぐらし、天主をあげていたという。したがって屋敷というより城と呼ぶにふさわしいといえよう。
平素は前田玄以が居住して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく間の、
重要な政治拠点であった。現在、城跡はしのぶべくもないが、古城町という町名となって、よすがを伝えている。
(現地説明板より)
現況・登城記・感想等
こんな城があったことも知らなかったが、京都在住時代の通勤路に城址の案内板と石碑を見付けた。