県庁前の水堀と背後に現存城門
幕末、毛利敬親が萩から山口に政庁を移し、城の形を整えた藩庁が完成
別名
山口藩庁、山口屋形
所在地
山口県山口市滝町1-1(山口県庁)
山口県庁付近一帯が城跡。県庁の駐車場有り。
形状
居館
現状・遺構
【現状】 山口県庁
【遺構等】 城門(表門)、水堀、石柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2003/11/01
2012/11/18
歴史等
幕末の混乱期を迎え、文久3年(1863)防長二州の結束を固めるため、藩主・毛利敬親が、萩から山口に政庁を移すことを決定。元治元年(1864)、高嶺城の麓に堀をめぐらし、城の形を整えた藩庁が完成。慶応2年(1866)に入城した。
維新後は、山口藩議事館と改称、明治4年(1871)に山口県庁となった。
現況・登城記・感想等
現在、山口城跡は、山口県庁となっているが、城の遺構として城門(脇門付薬医門形式)と水堀の一部が残っているが、この水堀、白鳥や鯉が泳いでいて、なかなか風情があります。
ギャラリー
現存城門と背後に高嶺城
現存城門(旧山口藩庁門)
この門は、元治元年(1864)、藩主・毛利敬親が藩政の本拠地を萩から山口へ移すため建設した山口政事堂の表門として築造された。門の構造は、切妻造り・本瓦葺きの薬医門であり、主材はケヤキと松を用いている。
明治4年(1871)の廃藩置県までは、藩庁門として使用され、その後は山口県庁正門として、さらに新県庁舎が完成した大正5年(1916)からは西口の門として利用され、現在に至っている。
水堀
【瑠璃光寺五重塔】
山口城とは関係ありませんが、瑠璃光寺は、山口に来たら、必ず訪れているので、写真だけでも(*^_^*)。
瑠璃光寺の五重塔は、繊細で、優美で、兎に角、素晴らしく、何度見ても飽きません。塔そのものも勿論素晴らしいのですが、背景にある山並みとのコラボが何とも言えずいいと思います。
瑠璃光寺五重塔は、嘉吉2年(1442)頃に大内義弘を弔うために建立された高さ31.2mの供養塔で、大内文化の最高傑作と云われている。全国に現存する五重塔の中でも10番目に古く、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺の五重の塔とならぶ、日本三名塔のひとつに数えられている。