山腹の大乗院山不動寺から見上げる清水城跡
島津氏8代元久が築き、東福寺城から移った本城
読み方
しみずじょう
所在地
鹿児島県鹿児島市東坂元(清水中学校の裏山)
清水中学校:鹿児島市稲荷町36−29 、099-247-7211
形状
山城(標高50~60m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、石垣
満足度
?????
訪城日
2012/11/17
歴史等
清水城は、東福寺城が手狭になったので、嘉慶元年(1387)、島津家8代元久が築いて移ったもので、以後、15代貴久が本城を内城へ移す天文19年(1550)まで8代の居城となった。
この清水城を中心に城下町が発達し、現在の鹿児島市の基礎ができあがったという。
尚、貴久が内城へ移ってのちは、大興寺・大乗院などの寺院の敷地になった。
『日本城郭大系18より』
現況・登城記・感想等
清水城跡の場所は特定できたが、登城口が全く分からず、山腹にある「大乗院山 不動寺」まで行き、そこから見上げることしかできなかった(/。ヽ)。
1年ほど前(2011/9/30)の南日本新聞によると、山の中には、曲輪・空堀・石垣などが良好に残っているようだが、登城道はおろか、入山もなかなか大変なようだ。中でも、本丸周辺へは近寄ることもできないようだ。
往時も要害の城であったそうだが、現在は、更に要害の地のようだ(苦笑)。
尚、山麓にある清水中学校は、居館跡に建てられたものだという。
(2012/11/17)
ギャラリー
居館跡に建つ清水中学校から清水城跡を望む