薩摩 東福寺城(鹿児島市)

段曲輪上段に立つ城址碑

鹿児島における島津氏最初の本城

所在地

鹿児島県鹿児島市清水町、多賀山公園
清水小学校(鹿児島市清水町8-15、099-247-1010)の日豊本線を挟んで反対(東)側の山(多賀山公園)が城跡

形状

山城(標高50~60m)

現状・遺構等

【現状】 多賀山公園
【遺構等】 曲輪、土塁、切岸、空堀、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2012/11/17

歴史等

東福寺城は、藤原純友から4代にあたる長谷場永純が、天喜元年(1053)に築いた城で、三州(薩摩・大隅・日向)で最初の城といわれる。
南北朝時代(1336~92)には、東福寺城をめぐって激しい戦いが行なわれた。
鹿児島を本拠にしていた長谷場・矢上・中村・上山・谷山の各氏は南朝方に与していた。
一方、鎌倉時代に源頼朝の命を受け薩摩の地頭職にあった島津氏は北朝方に属し、当初、出水に居を構えていたが、機に乗じて鹿児島への侵攻を企てた。
両者は、激戦を続けたが、暦応4年(1341)、島津氏5代貞久が東福寺城を攻め落として入城し、志布志城にいた四男氏久(島津氏6代)を呼び寄せて住まわせ、薩隅を治める根拠地とした。
その後、さらに島津氏の勢力が伸びるに従い、東福寺城は手狭になり、氏久の子・8代元久の時の嘉慶元年(1387)に、清水城を築いてそこに移った。
清水城に移って以後も、東福寺城は中世末期まで軍事上の重要拠点として取り扱われた。
島津氏が、鹿児島に本城を置いたのは、この東福寺城からで、その後、清水城内城鹿児島城(鶴丸城)が築かれ、城下が南へ延びていったのである。
また、幕末には島津藩の砲塁などに利用された。
『「現地説明板(2箇所)」、「日本城郭大系18」より』

現況・登城記・感想等

東福寺城は、海側(南東側)は絶壁で、その他の部分も急崖になった天然の山城である。
城跡は、段曲輪、土塁、空堀、堀切が残ってはいるが、公園化した際の整備のためか、残念ながら遺構は明瞭ではない。
公園から見下ろす目の前に桜島がある鹿児島湾の眺望は、晴れていたら素晴らしいことだろう。今回の登城では、雨上がりで桜島は山裾しか見えなかったので・・・(/。ヽ)。
(2012/11/17登城して)

ギャラリー

多賀山公園(東福寺城跡)案内図 ~第2駐車場内の案内板より~
案内板には、東側の山頂部に「島津氏居城・東福寺城跡」とあるが、現在の多賀山公園全体が城跡のようだ。
切通し(堀切?)に架かる桜園橋の西側の3分の1は、浜崎城址との説があるようだが・・・。尤も、浜崎城と言っても、薩摩特有の曲輪を「城」と呼ぶものかもしれないが。

多賀山公園案内図

「猪出没注意」
多賀山公園は、市街地の中にある丘陵にあり、まさかと思ったが・・・。車で、公園へ登って行くと、第2駐車場入口の民家脇に、木と根っこや蔓で造られた大きなイノシシの造物形が置かれ、その下に「猪出没注意」の看板が・・・w(*゚o゚*)w。
この造形物を見た時は、ユーモアのある人が造ったものだと思っていたが、「イノシシ出没注意」の看板は、このあと公園東部の山の中にも、次々と出てきた( ̄ー ̄;。それにしても、このイノシシの作者、センスありますねえ(笑)。

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空堀?
まずは、案内板に「東福寺城跡」とある東部の山の中へ・・・。公園には、何人もの人が訪れていたが、この東側の山の中へ行くのは、私だけだった。
山の中には、空堀のような地形が何箇所かに確認できたが、それが空堀かどうかは分からなかった。「イノシシ出没注意」の看板も次々に現れたが・・・(苦笑)。

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切岸
山の中へ入って行くと、切岸が現れる。高さ5mほどはあるでしょう。切岸の上は、段曲輪。写真左の看板は、城跡の案内板ではなく「イノシシ出没注意」の看板です(苦笑)。
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段曲輪
案内板に「東福寺城跡」とあった場所には段曲輪があり、その上段部に、「島津氏居城東福寺城跡」と刻まれた石碑が建てられている。
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段曲輪から鹿児島湾を見下ろす(北東方面)
段曲輪からは、鹿児島湾が見え、右の方には桜島が見える。尤も、写真のように、当日は雨上がりで、桜島は山裾しか見えなかったが・・・。たまに訪れた人間の勝手な言い分だが、正面のマンションが邪魔ですねえ。
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桜の広場からの眺望(南東方面)
多賀山公園の中央部の桜の広場から見下ろす光景は素晴らしい。写真左側の桜島が山頂部まで見えたら、もっといいんだろうけど・・・。
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土塁?
桜の広場の北西側には、幅の広い土塁があるが、傾斜が緩いので、それが土塁遺構かは不明ですが・・・。しかし、北西側は急崖とはいえ、海側(南東側)ほどの絶壁ではないので、防御用の土塁が築かれていても不思議ではない。
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切通し(堀切?)
公園を西側3分の1、東側3分の2に区切る切通しがある。これは、自然地形を利用した人工的な堀切で、往時の遺構なのではないだろうか?
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