エルベ川に架かる橋からアルブレヒト城を望む
マイセン陶磁器発祥の城
ドイツ語名
Albrechtsburg
所在地
ザクセン州マイセン(Meißen)
歴史等
アルブレヒト城は、927~929年頃、エルベ川東域のスラヴ族でザクソン出身のドイツ王ハインリッヒ1世が、
マイセン周辺を征服し城塞を築いたのが始まりである。
1089年には、王族ヴェッティン家が辺境伯領マイセンを封土として受けた。
その後、1464年にはヴェッティン家の兄弟エルンストとアルブレヒト合同の統治となり、1471年から城塞の場所(ブルクベルク)
に現在のアルブレヒト城の築城が開始され、1524年に完成した。
しかし、1485年、ヴェッティン家は、エルンストのエルネスティーニッシェ侯系とアルブレヒトのアルベルティーニッシェ公系に二分され、
エルンストがヴッテンベルクに、アルブレヒトがドレスデンに移ってしまったので、アルブレヒト城に王が住むことはなかった。
1710年、選帝侯アウグスト・デア・シュタルケは、アルブレヒト城内に王位磁器工場を造って白磁器の発明者ヨハン・フリードリッヒ・
ベトガーや職人を城に閉じ込めてヨーロッパ一の白磁器の生産地とした。
17世紀のヨーロッパでは、中国や日本の伊万里の磁器は人々の憧れであり、高価なものであったが、
純白で薄くて硬質な磁器をどうしても作ることが出来なかった。しかし、1709年に、アウグストの命で長い間研究を続けてきたヨハン・
フリードリッヒ・ベトガーによって、はじめて白磁の製作に成功したのである。そこで、翌年、徹底した機密主義を守り、
製法を外部に漏らさないようにするために、アルブレヒト城内に磁器工房を設立したのである。そして、
それは1865年に町のはずれに移転するまで続いたのである。
『現地購入ガイドブック・ベルリン(rahmel-verlag gmbh刊)他参照』
現況・感想等
アルブレヒト城は、高級陶磁器で有名なマイセンにある。
エルベ川に架かる橋を渡るとマイセンの旧市街へ出る。橋に近づくと、川の向こうにブルクベルクの丘の上に聳えるアルブレヒト城が見えてくる。
橋の上から眺めるアルブレヒト城と城に寄り添うように建つドーム大聖堂の光景は素晴らしい。
アルブレヒト城は、最近修復したばかりだそうで、外観は新しく見えるが、15世紀に建てられた後期ゴシック様式の城だから、
ゆうに500年は経つ歴史ある建造物だ。
30kmほどしか離れていないドレスデンが、第二次世界大戦時の1945年2月13・
14日の2日間にわたる空爆により焼野原と化したにも関わらず、マイセンは奇跡的にも被害が少なかったおかげで古い家並みが残る。
また、マイセンは陶磁器のお陰で、東ドイツ時代においても例外的に裕福な街だったそうだ。今も中世の面影が残る街は綺麗で魅力的で、
石畳の道を楽しく散策することができる。
(2010/09/12)
ギャラリー
いよいよマイセン市街へ
エルベ川に架かる橋を渡るとマイセン旧市街だ。橋に近づくと、川の向こうにブルクベルクの丘の上に聳えるアルブレヒト城が見えてくる。
エルベ川とアルブレヒト城
エルベ川は水量も豊富でゆったりと流れている。
橋の上からアルブレヒト城を
橋の上から眺めるアルブレヒト城と城に寄り添うように建つドーム大聖堂の光景は素晴らしい。
橋を渡りきる寸前から
この辺りまでが城の全容が見えるギリギリ。マイセン旧市街へ入ってしまうと、
多くの建物が邪魔をしてよく見えなくなってしまう。
【マイセン旧市街】
(石畳の道)
中世の面影が残る街は綺麗で魅力的で、石畳の道を楽しく散策することができる。
お茶目通り?
中には、こんなお茶目なというかキュートな小路が・・・(^-^)。
落書き!?
中には、こんな家の壁も(^-^)。
マルクト広場
エルベ川を渡りきった所から始まるElbstr.を進んで行くと、街の中心部マルクト(Markz)に出る。
そこでは多くの人が集まり、お茶などを楽しんでいた。切妻屋根が特徴的な市庁舎やフラウエン教会も見える。
もう一つの広場
マルクト以外にも広場があり、ここにも人が集まり楽しんでいた。この広場周囲の家もなかなかいい。
フラウエン教会