メナチャシ(新ひだか町)

日高地方アイヌ二大部族の一つオニビシがシャクシャインに討取られたチャシ

別名

御殿山チャシ

所在地

北海道日高郡新ひだか町静内目名

【行き方】
静内市街から道道71号線を北東へ走り、目名橋を渡り、しばらくすると左側に 「映画・北の零年史跡めぐり」の案内板がある。
そこを入ると、岡田牧場入口へ突き当たる。ここが「稲田屋敷跡」である。
(岡田牧場入口、左下に稲田屋敷跡説明板が設置されている)
 
そこから左へ廻り北の方へ行くと、 御殿山公園へと出る。ここにも「映画・北の零年史跡めぐり No.6稲基神社・北辺開拓の礎」の案内板が立っている。
(御殿山公園が北の零年史跡めぐりの地。案内板の西側は牧場になっている)
 
ここから入って行くとメナチャシがある。
尚、駐車場は、その道をさらに50mほど進み、突き当たりを右へ曲がると、墓地駐車場があり、そこからもチャシ跡へ入って行くことができる。

形状

丘先式チャシ

現状・遺構

現状:御殿山公園
遺構等:空濠、土塁、郭、模擬木橋、説明板

満足度(10点満点)

5点

訪城日

2008/10/20

歴史等

メナチャシは、17世紀、静内川上流に勢力を誇ったハエ(現門別町)のオニビシ方のチャシと言われている。
オニビシは、静内川を舞台に、下流に勢力を誇るシャクシャインと争い、ここでシャクシャイン方に討取られたと伝えられている。
『現地説明板』

尚、オニビシとシャクシャインの争いには、いろんな説があるようだが、こんなサイト 「スキッピーの大冒険マップ!!アイヌ伝説」を見つけました。かなり詳しく、面白いので紹介します。

現況・登城記・感想等

メナチャシは、空濠や土塁、郭が実に良好に残り見応え充分だ。
丘陵南東部を弧状の濠が囲み、その濠に囲まれた郭を、さらに一本の濠で2つの郭に分けられている。
本郭?(南東崖側の内郭?)は、チャシには珍しく、結構高い土塁で囲まれ、すり鉢状になっている。副郭?は、本郭より狭く、 稲田家主従の移住・開拓の顛末をレリーフとした記念碑が建っている。
濠は、幅約3~4m、深さ約1.5m、長さは外濠だけでも40m以上あるだろう。チャシとしてはかなり大規模で、見応えがある。特に、 北側濠の東端辺りは、濠底から土塁上まで3mはあるだろう。
尚、この静内町目名の地は、吉永小百合・渡辺嫌・石田ゆり子出演の映画「北の零年」で有名になったが、 徳島藩淡路洲本城代の稲田邦植主従による入植・開拓の地でもあり、この御殿山公園内には、稲田家主従の移住・開拓レリーフの他に、 稲田家の祖先神を祀る稲基神社や移住時に沈没した平運丸遭難の碑、稲田氏の墓等々がある。
また、西側には縄文時代早期~アイヌ文化期の遺跡(静内御殿山墳墓群)もある。
(2008/10/20訪れて)

ギャラリー

メナチャシ全景(71号線から撮影)
牧場背後の丘の右(東)先端部にチャシ跡がある。典型的な丘先式チャシだ。


【空濠】
丘陵南東部を弧状の濠(写真右側の奥へと続く濠)が囲み、その濠に囲まれた郭を、さらに一本の濠 (写真中央左側の濠)で2つの郭に分けられている。

2つの郭を分ける空濠
上写真左側の空濠で、この濠は外濠の部分と較べやや浅く深さ1mほどである。

北西部の空濠
2つ上写真の奥の方の空濠で、左(南)へと緩く曲がっている。写真奥に木橋が辛うじて見える。

北側の土塁と空濠
写真では、あまり深そうには見えないが、写真奥辺りは、土塁上から濠底まで3mはあるであろう。

【郭】
(副郭と稲田家主従の移住・開拓の顛末のレリーフ)
外濠から副郭?へは木橋が架けられ、副郭?へと渡れる。副郭は、本郭より狭く、稲田家主従の移住・ 開拓の顛末をレリーフとした記念碑(写真奥)が建っている。

(本郭?)
本郭?(南東崖側の内郭?)は、チャシには珍しく、土塁で囲まれ、すり鉢状になっている。


【徳島藩淡路洲本城代の稲田邦植主従による入植・開拓】
静内町目名の地は、吉永小百合・渡辺嫌・石田ゆり子出演の映画「北の零年」で有名になったが、 徳島藩淡路洲本城代の稲田邦植主従による入植・開拓の地でもあり、この御殿山公園内には、稲田家主従の移住・開拓レリーフの他に、 稲田家の祖先神を祀る稲基神社や移住時に沈没した平運丸遭難の碑、稲田氏の墓等々がある。

(稲田家主従の移住・開拓レリーフの説明)  ~クリックにて拡大画面に~


(㊧稲基神社、㊨開拓記念碑)
 

(㊧稲田氏の墓、㊨平運丸遭難の碑)
  

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