岩代 高田城(会津美里町)

僅かに残る土塁の一部

魚獲りをしていた隙に襲われ落城した城

別名

高田館

所在地

福島県大沼郡会津美里町(高田第一中学校の北)
高田第一中学校:会津美里町字布才地(ふさいち)570、電話0242-54-2352

形状

平城

現状・遺構

現状:市街地(主郭部:スーパー・リオンドール、二曲輪:高田第一中学校)
遺構等:土塁

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/09/30

歴史等

15世紀に築かれたとされる在地領主渋川氏の居城である。
芦名氏13代盛高のときに、京で応仁の乱が勃発し、世は戦国時代に突入するが、その余波は奥羽にも及び、会津では小豪族の反乱が相次いだ。
高田城に拠る渋川氏の勢力が次第に強まっていくのをみた黒川城主・ 芦名盛高は、これを滅ぼそうと機会を窺っていた。しかし、高田城はそれほど広くはないが、堀も深く、土塁も堅固のめぐらされ、 うかつには攻め込めない。
ところが、文明11年(1479)5月27日、渋川氏一族が宮川に舟を浮かべて遊楽(魚獲り)していたとき、 かねてから黒川に心を寄せていた幸高の家臣・荒川数馬がこれを急ぎ注進した。盛高は今こそ絶好の機会とばかり出撃し、高田城に火を放った。
慌てて引き返した渋川氏や小俣氏など一族は、黒川勢に迎撃されてことごとく討死し、遂に渋川氏は滅亡した。
尚、「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」では、ときの城主を小俣幸高とし、宮川で遊楽していたのも小俣幸高一族とし、 小俣氏滅亡としている。果たして、事実は如何に?
『「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)他より』

現況・登城記・感想等

高田第一中学校の北に、土塁の一部が残り、その上に雷神社が鎮座している。
スーパーの辺りに堀跡が残っているというので、探したが見付からなかった。また、碑や説明板といったものは全くない。
中学校の建物がやたらと派手で、立派なのが目に付いただけだ(苦笑)。
(2008/09/30訪れて)

ギャラリー

土塁

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