石橋山合戦で敗れ逃れてきた源頼朝が拠った安西氏の居城?
所在地
千葉県安房郡鋸南町勝山(勝山漁港の南東の山)
形状
山城
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2009/01/15
歴史等
勝山城は、源頼朝が石橋山合戦に敗れ当地に逃れてきた際、いち早く臣従した地頭・安西氏が出城として築いた砦に始まるとされる。
しかし、この頃の安西氏の居城は平松城であるとの説もあり確証はない。
また、里見義実が上野国里見から安房に入国した際に義実を庇護したのが安西景春で、のちに義実が安西氏にそむいて、これを降し、
主従逆転したともされるが、これも不明な点が多いようだ。
いずれにしても、戦国時代には里見氏のもとで、安西氏は勝山城を構え、江戸初期里見氏滅亡までこの地を領した。
元和3年(1617)内藤氏が入封し、勝山城直下に陣屋(勝山陣屋)が構えられた。
その後、一時廃藩となったのちに、寛文8年(1668)酒井忠国が叔父忠直(若狭小浜藩主)
より1万石を分与され藩が復活した。以来9代203年に渡る酒井勝山藩(天和2年、1万5千石を数えたが、翌年弟忠成に3千石分知し、
1万2千石となった)の領地として明治に至った。
『「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大黒山展望台下の説明板」ほか参照』
現況・登城記・感想等
勝山城址は現在、崖崩れのため登城出来ない。
地元の方の話によると「最近、やっと許可がおりて、別ルートの登城道を造ることが決定した。」とのことである。
一方、勝山漁港を挟んで対岸の大黒山の頂上には、天守風の展望台が建てられている。地元の方でも多くは、
この模擬天守のある大黒山を勝山城址だと思っているようだった。
尤も、この大黒山は海に突き出した小高い山という立地でもあり、眼下には360度のパノラマが見渡せ、
往時ここに出城や狼煙台があっても不思議ではないと思った。
新しいルートが完成したら、美味しい活魚を食べがてら、また来るしかないね。
(2009/01/15登城して)
ギャラリー
登城口
かつては、八幡山の北側の民家の横から遊歩道があり登城できたようだが、
山崩れのため遊歩道入口から少し登って行くと通行止めになっていた。地元の方の話によると「最近、やっと許可がおりて、
別ルートの登城道を造ることが決定した。」とのことである。
大黒山展望台(模擬天守)
勝山漁港を挟んで対岸の大黒山の頂上には、天守風の展望台が建てられている。地元の方でも多くは、
この模擬天守のある大黒山を勝山城址だと思っているようだった。確かに紛らわしい建物である。
説明板
何故か大黒山の頂上の展望台下に勝山城の説明板が設置されている。
展望台からの眺望①
展望台からは360度のパノラマが楽しめる。西の方には三浦半島が見え、
さらにその向こうには富士山も見えるが、今日は薄っすらとしか見えず、写真では分からない。
展望台からの眺望②
房総半島のこの辺りは、奇岩も多い景勝の地である。尚、表紙写真も展望台から撮ったものである。
鮨
房総半島といえば何と言っても新鮮な活魚である。今回、入った寿司屋さんは、鋸南町にある「惣四郎寿司」
である。ここは、店のご主人の話によると、ロケ?か何かで、「キムタク」と「大泉洋」も来た事があるそうだ。今回は、Aセット(地魚にぎり、
味噌汁、デザート付き)1,050円を注文。地魚は、毎日獲れたものを握るということで、本日の寿司のねたは、写真前列左から、石鯛・
スズキ・ホウボウ・マトウダイ、後列左からシマアジ・スギ・メダイ・ブダイの8種類。どれも新鮮で、実に美味かった。