住宅地の中の小さな神社の鳥居脇に設置された陣屋説明板
小泉次大夫が多摩川両岸の用水(二ヶ領・六郷)建設の采配をとった陣屋
所在地
神奈川県川崎市小杉陣屋町2-10-55
(新丸子駅から徒歩約15分)
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:宅地(神社)
遺構等:説明板のみ
満足度
-----
訪城日
2009/01/07
歴史等
稲毛領、川崎領を潤す二ヶ領用水の建設。徳川家康の命を受けた代官小泉次大夫は、
ここに陣屋を設け14年に及ぶこの難工事の指揮に当った。地名「小杉陣屋町」はこれにちなむ。
『以上、現地説明板より』
小田原の役にて後北条氏が滅び、関東には徳川家康が入国し、家臣たちを要所に配置し領国経営を固めた。この小杉陣屋もその一つで、
小泉次大夫吉次が天領代官としてここを治めた。
吉次は家康の命に従い、慶長2年(1597)から多摩川下流域の両岸を潤す六郷用水(東京側)と二ヶ領用水(川崎側)建設に着手し、
慶長16年(1611)完成した。両用水を合わせて四ケ領用水とも呼ばれる。また、
工事の任に当たった用水奉行の名を冠して次太夫堀とも呼ばれている。
『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)他参照』
現況・登城記・感想等
小杉陣屋跡は住宅地の中に埋もれ、全く遺構は残っていない。小杉陣屋町の小公園(小杉陣屋町中公園)
の南西すぐの所の5~6m四方の空き地に、鳥居と祠だけの小さな神社がある。ここが陣屋の中心地であったと伝わる。
小杉陣屋町内は迷路のようで、場所は分かり辛いが、何箇所にも簡単な史跡案内図があるので、それに従って行けば辿り着ける。
ただ、道は非常に狭く軽自動車さえも入れないような路地も多く、食い違いになっている交差路も多いので、車では行かない方が良い。
(2009/01/07訪れて)
ギャラリー
案内図
陣屋跡の場所は分かり辛いが、何箇所にも簡単な史跡案内図があるので、それに従って行けば辿り着ける。今回、
私は九品仏の浄真寺(奥沢城址)から田園調布を通り、多摩川を渡り、中原街道を歩いて行き、帰りは、新丸子駅へと向かった。
多摩川
二ヶ領用水や六郷用水は、この多摩川から水を引いた。
田園調布から多摩川に架かる丸子橋を渡って神奈川県へと入り、中原街道を通り小杉陣屋町へと歩いた。
徳川家康は初めて江戸に入った天正18年(1590)には、まだ東海道は整備されていなかった。
家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を通った。江戸の初め、江戸に通じる主要街道として使われたこの道も、
東海道が整うと徐々にそれまでの賑わいを失っていった。しかし、その後も物資や農産物輸送などに欠かせない大切な道として、
中原街道は人々の生活に深い関わりを満ち続けてきた。
中原街道(長屋門)
中原街道には史跡も多くある。この長屋門は、江戸時代にこの辺りの名主の代表格だった安藤家の長屋門で、
代官から賜ったものだそうだ。今も、安藤家の御子孫の方が住んでおられるようだった。
「カギ」の道
中原街道をどんどん進むと、城下町でよく見られるカギ形に曲がった道となる。この奥右一帯が、
家康の宿営地小杉御殿があったところ。陣屋跡へは、ここを右へ曲がる。
小杉御殿跡
「カギの道」の曲がり角に小杉御殿跡の石碑と御殿図付きの説明板が設置されている。