長さ約20mもある土橋
後醍醐天皇の孫・尹良親王が信濃南朝方の関東の橋頭堡として籠った城
所在地
群馬県高崎市寺尾町1064-30(観音山ファミリーパーク)
形状
山城
現状・遺構等
現状:観音山ファミリーパーク遊歩道
遺構等;曲輪、土塁、堀切、土橋、遺構案内板、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/12/20
歴史等
群馬県の城が文献に現れるのは、「吾妻鏡」に「治承4年(1180)9月30日、新田義重が兵を寺尾城に集め、
頼朝の招きに応じなかった」とあるのが最初のようだ。
寺尾城は高崎市南部の丘陵地帯で、寺尾上城(乗附城)、寺尾中城、寺尾下城
(寺尾前城、山名城) 、鷹ノ巣城(茶臼山城)からなる城砦群である。
寺尾城の擬定地としては、新田(現群馬県太田市)説もあるが、現在では、この高崎市の丘陵一帯が寺尾城の城砦との説が有力なようだ。
応永5年(1398)、後醍醐天皇の孫・尹良親王は、信濃南朝方の関東の橋頭堡である寺尾城に拠り、新田一族の世良田政義の支援を受けて、
退勢の挽回をはかったが、同19年(1412)平井城主上杉憲定に攻略されて落城し、
親王は信州諏訪に逃れたと伝えられている。
寺尾城は、上城・中城・前城それぞれ4km程隔てて配され、丘陵一帯をおさえていた。
これによって守られていた中城の北の「館」が、尹良親王の館と考えられる。
『「歴史と旅。日本城郭総覧(秋田書店刊)」、「現地説明板」参照』
現況・登城記・感想等
寺尾中城は、観音山ファミリーパークの中に組み込まれている。公園に着くと、非常に広い芝生広場があまりにも綺麗なので、
遺構の大方は破壊されているだろうと、期待が薄れた。ところが、これが以外にもよく残っている。
寺尾中城は、公園内の「癒しのエリア」に組み込まれ、散策コースとして綺麗に整備されている。散策コースには、北・中央・
南の3つのコースがあるが、中央コース(約1,040m、所要時間37分)を行けば、5つの郭を全部廻ることが出来る。
寺尾中城は、南北朝から室町時代前半の城であり、両側が切り立った丘陵の細い尾根上のやや広い部分に5つの郭を設け、
その郭間を堀切で断ち切るという天然の要害を巧みに利用した典型的な連郭式山城であり、郭の周囲には土塁もなく、ましてや枡形虎口、
石垣といったものも当然ない。
しかし、尾根を断ち切った多くの堀切や、尾根の細い部分の両側をさらに削って造られた土橋等は見応え充分である。中でも、
三の郭と四の郭の間にある長さ20mにも及ぶ細い土橋は、両側が遥か下の方まで落ちていて渡るのが怖いほどの迫力がある。
ここまで残っているとは、想像もしていなかったので得をした気分になった。
(2008/12/20登城して)
ギャラリー
観音山ファミリーパークMAP ~クリックにて拡大画面に~
公園内のサービスセンターに置かれたパンフレットより抜粋
寺尾中城は、中央コース(赤のコース、約1,040m、所要時間37分)を行けば、5つの郭を全部廻ることが出来る。
芝生広場
公園は実に広くて、案内板を見ても何処が城跡か分かり辛く、念の為にサービスセンターの方に尋ねた。
広い芝生広場の最も奥(東)の方にある丘陵(写真奥の山)が城跡だとのことだった。教えて貰わなかったら、
間違えて北の方にある山へ行くところだった(汗)。よかった~!
登城口
本城が見えてきた
登城口から3~4分歩くと本城が見えてくる。手前には土塁があり、土塁下に説明板がある。写真奥上が本城。
土塁、堀切
土塁は二重になっている。写真の堀切は、あまりにも明確すぎるし、この堀切の奥への道が「南コース」
となっていたので、当初は公園を築造する際に造った道かと思ったが、堀切の延長線上に崖下へと落ちていく竪堀が確認されたので、
やはり往時の堀切であろうと思う。
本城への登り道
上写真の左側から本城へと登って行く。
本城
本城は狭く、ベンチが設置されてはいるが、眺望も決してよくない。
二の郭
本城を一旦降りて、さらに東へと進むとすぐに二の郭へと出る。強引に藪の中を登ってみると、
二の郭は二段になっているようだった。本城よりは広いようだが、決して広い曲輪ではない。
三の郭
二の郭から、さらに東へ進むと、すぐに三の郭へと出る。三の郭も藪になっている。この郭も、
あまり広くはないが、この城の中では最も広いかも。また、二の郭も三の郭も削平地としては甘く、決して平らであるとは言えない。
三の郭から四の郭までは、かなりの高低差がある。この階段はかなり急角度である。
㊧は上から下を見下ろしたもので、㊨は下から見上げたものである。階段がなかったらとても登れる角度ではなく、防御には最適であろう。
階段下には埋まって浅くなっているが堀切が切られていたようだった。これで防御は満点かな。
土橋
上写真の急な階段を下りてしばらく進むと、この土橋へと出る。この土橋は、長さ約20mあり、
しかも両側が遥か下の方まで落ちていて渡るのが怖いほどの迫力がある。この城の最大の見所ではないだろうか!?
四郭
土橋を渡ると、すぐに四の郭へと出るが、「これが本当に曲輪跡か?」と思うくらい狭い。私が、
かつて二度ほど建てた「邸宅?」の敷地よりも狭いではないのか???
四の郭と五の郭ともかなりの高低差があり、これまた急な階段である。当然、
階段がなかったら登れるような代物ではない!㊧は上から見下ろしたもので、㊨は下から見上げたところ。
尾根道
㊧上写真の階段を下りると、尾根道へ出る。土橋ではないようだが、結構狭い道で、両側も崖である。㊨そこを、
しばらく進むと、登り道になる。この上が五の郭である。
五の郭
五の郭も決して広くない。ここには小さな祠が祀られていた。
堀切、そして立入禁止
五の郭を更に進むと、堀切へと出る。堀切の奥にも登りのしっかりした尾根道があったが、「危険区域、
立入禁止」となっていた。となれば、益々登って行きたくなるところだが、理性を働かせて諦めた。