武蔵 奥沢城(世田谷区)

浄真寺山門脇に残る土塁

世田谷城主吉良氏の家臣大平氏の居館

所在地

東京都世田谷区奥沢7丁目41-3浄真寺、電話03-3701-2029
東急大井町線「九品仏」下車、北へ徒歩4分

形状

平城

現状・遺構等

現状:浄真寺
遺構等:土塁、石柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2009/01/07

歴史等

九品仏浄真寺は、室町時代に栄えた世田谷城主吉良氏に仕えた勇将大平出羽守の居館跡に建立されたと伝えられている。
現在、みられる本堂、三仏堂などを囲む方形の土塁は、台形状の形がよく保存されており、中世土豪の砦の規模等を探る上で貴重な史跡である。
土塁は、1辺が約150mで4隅がやや丸く、内側からの高さは平均1.7m、外側からは約2.7mあり、 4隅は直線部より約1m高くなっている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

奥沢城跡には浄真寺が建立されているが、その周囲をめぐる土塁はほぼ完存しており見応え充分である。
江戸城は別として、東京23区内でこれだけ遺構が良好に残っている城跡は数少ない。
(2009/01/07訪れて)

ギャラリー

㊧浄真寺参道、㊨浄真寺総門
東急大井町線「九品仏」から北へ向かって歩くと、すぐ㊧浄真寺参道へ出る。参道を2分ほど歩くと、 ㊨浄真寺の総門へ突き当たる。
 

浄真寺山門(仁王門)
総門をくぐり、少し行くと左側に立派な山門が現れ、山門の両側に土塁が確認できる。

山門右(北)側の土塁
左奥の建物は本堂、右は観音堂

山門左(南)側の土塁
特に左(南)側の土塁は良好に残り、右(北)の方へ曲がり、ず~っと延びている。 土塁の横に小さな城址名の石柱(写真左)が立っている。

境内(山門を入り、振り返って見る)

南側東部分の土塁
写真左奥の鐘楼裏から周ってきている。この辺りの土塁は実に良好に残っている。

南側西部分から西側にかけての土塁
南側土塁から西側土塁にかけても良好に残っているが、西側土塁上は墓地になってる。

北側土塁(土塁外側から撮影)
北側土塁の外(北)は墓地になっている。この北側土塁の外側に城址説明板や土塁説明板が立っているが、 非常に薄くなってしまっていて実に読み辛い。

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