本丸跡に立つ木製の城址碑
関東と佐久平との境目にあり信玄が重要視した城
所在地
長野県佐久市内山字城下(円城寺の裏山)
円城寺:内山5795、電話0267-62-6513
駐車場は円城寺の駐車場を拝借
形状
山城(標高860m、比高80m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、石積み、堀切、井戸、城址碑(木製)、城址行き先案内板、遺構案内板、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/12/25
歴史等
内山城は、永正年間(1504~21)に、大井美作入道玄岑(げんしん)が築城したと思われる。
天文11年(1542)以後、破竹の勢いで信濃侵攻を進めた武田信玄は、諏訪氏を滅亡させ、天文15年(1546)
には佐久郡の緒豪族を相次いで降伏や滅亡に追い込み、その諸城を奪って上原伊賀守昌辰を配し、北信濃の強豪村上義清との対決に備えた。
しかし、天文17年(1548)2月の上田原の合戦で勝利した義清は、内山城をはじめ武田方となっていた佐久の緒城を攻撃し、手に入れた。
上田原合戦で敗北した信玄であったが、、同年7月には塩尻峠で小笠原長時を打ち破り、天文18年(1549)には佐久の緒城を奪還した。
天文19年(1550)、信玄は、義清により、のちに「戸石崩れ」と呼ばれる大敗北を再び喫した。義清は、余勢を駆って、
佐久の緒城に攻勢をかけ、各地を放火してまわり、佐久の緒豪族を武田方から引き離そうと試みた。
天文20年(1551)5月、真田幸隆が諜略により戸石城を陥落させ、
信玄は重要な拠点を確保した。これを契機に信玄は攻勢を開始し、7月には佐久の緒城をみたび奪還した。
天正10年(1582)武田氏が滅亡し、佐久の諸城が次々と徳川氏の手に帰していくなかで、内山城も同11年(1583)
に家康の麾下依田信蕃等の手によって攻略された。
『「現地(円城寺手前登城口)説明板」、「歴史群像シリーズ50・戦国合戦大全(学研刊)」参照』
現況・登城記・感想等
内山城は比高80m程度の山城ではあるが、周囲が断崖で囲まれた要害の地で、登城道もかなり急坂である。しかも、今回の登城は冬で、
落ち葉が幾重にも積もり非常に滑りやすくて、危険さえ感じるほどで、通常なら20分ほどで登れそうなところを25分近く掛かってしまった。
この城も、近くにある志賀城などと同様の岩山で、
登城途中には目の前に強烈な岩の壁が現れたり、巨岩が転がっていたり、また、所々石積みにも出会う。
石垣フェチの私には嬉しくなってくる城址だ。
山頂には、本丸~二の丸~三の丸が一段づつ下がって続いている。また、本丸奥には二段の腰曲輪が付いている。
本丸や一番奥の腰曲輪からの眺望はよく、360度のパノラマが楽しめる。
三の丸から東西に伸びる尾根には、堀切が何本かあるようだが、枝や根っこがいっぱい絡まった木が倒れていて、
そこを通り抜けられず断念したのが心残りである。巨岩だらけの尾根の脇から行こうかとも思ったが、道がない上、強烈な崖で、
これまた無駄な抵抗に終わった。
後で考えたら、二の丸へ一旦上がってから下りれば行けたような気がする。残念なことをした。
ここも、いつか再登城する必要があるかな?
(2008/12/25登城して)
ギャラリー
㊧城址遊歩道案内図、㊨行き先案内板
内山城は、円城寺の前に城址遊歩道案内図付きの説明板が設置されており、また、
城址への行き先案内板も設置されている。この案内板は山頂部本丸まで何箇所も設置されているので迷う心配はない。
遊歩道案内図によると2方向から行けるようだったが、右へ衣笠神社の前を通って行く道を選んだ。
巨大岩壁
上写真の登城口から落ち葉が幾重にも積もり、滑りやすい道を登る事、15分ほどで。
この岩の巨大な壁へと出る。この壁は右の方(下写真)へと続いている。
石積み
上写真の岩の壁を迂回し登って行くと、辺りに多くの石が転がっている。その中に、
割り合い良好に残る石積みが現れる。
再び巨大岩壁
さらに登って行くと、再び巨大な壁が現れる。
最後の登り
岩壁の手前を左へ登って行くと、山頂部(正面の岩の右側)が見えてくる。
三の丸入口から本丸を見上げる
上写真を登ると、本丸が見えてくる。ここを左へ行くと三の丸。手前土塁の上が二の丸。
奥の土塁上が本丸である。まずは、この右側を登って本丸へと行く。
本丸
本丸には木製の城址碑が立っている。木製の標柱はよくあるが、木製の碑って珍しくないですか?
ユニークな感じで悪くないね。
本丸には石垣が?
本丸の南側には石段や石垣跡のような石が確認されたが、ひょっとしたら往時は石垣造りだった??
落ち葉で隠れている石もあるので、結構な石積みなのでは?
本丸から北方面には浅間山が
本丸からの眺望はなかなか良い。正面の裾の広い雪山は、浅間山。頂上部が雲で隠れているのがちょっと残念!!
本丸から北西眼下には佐久の街並みが
二の丸
本丸の北から東にかけて一段下には二の丸がある。この写真は二の丸東部分。
段曲輪
本丸奥(南)には二段の段曲輪がある。
南の曲輪から
最も南(上写真の先っぽ)の曲輪からは、内山峠~佐久の街道が真下に見え、物見の場所として最高だ。
案内板にある内山峠は兎も角、江戸方面とは大きく出たな!
三の丸へ
先程の本丸と三の丸との分岐へ戻り、三の丸へと向かうと、この強烈な倒木!?
強引に通ろうと試みたが無駄な抵抗だった。お陰で、尾根を断ち切っている何本もの堀切や井戸などを見損なってしまった。
再度、無駄な試み?
巨岩が転がっている西尾根の脇から行こうかと試みたが、道がない上、写真左下の崖が強烈
(崖下まで50mほどあるかも)で、結局これも無駄な抵抗だった。