上野 伊勢崎陣屋(伊勢崎市)

城跡は北小学校に、写真の搭は大正時代の旧時報鐘楼

前橋藩から分知された支藩の陣屋

所在地

群馬県伊勢崎市曲輪町28(北小学校)
北小学校:曲輪町28-24、電話:0270-25-4450

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:北小学校
遺構等:移築陣屋門(同聚院)
     同聚院:曲輪町14-5、電話0270-25-0435

満足度

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訪城日

2008/12/20

歴史等

慶長6年(1601)稲垣長茂が1万石で立藩したが、元和2年(1616)長茂の子重綱は越後藤井(柏崎市)に移封。
寛永14年(1637)、前橋藩主酒井忠清の弟忠能が2万2, 500石で入封したが、寛文2年(1662)信濃小諸へ移封。
延宝9年(1681)前橋藩主酒井忠挙の弟忠寛が2万石を分知され、 伊勢崎に入った。戊辰戦争では、いち早く新政府に恭順の意を示した。
『大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)より』

現況・登城記・感想等

陣屋跡は小学校の敷地となり、遺構は何も残っていない。正門近くには、大正4年(1915)に建てられたという「旧時報鐘楼」がある。
現在、小学校は、運動場辺りも含めて、大掛かりな改築中のようであったが、発掘調査もされているのだろうか?淡い期待を持っているが・・・。
尚、同聚院の総門は、最初に伊勢崎藩を立藩した藩主稲垣長茂の屋敷門であったと推定されるそうだ。
(2008/12/20訪れて)

ギャラリー

改築中の小学校(2008/12/20現在)
現在、小学校は、運動場辺りも含めて、大掛かりな改築中のようであったが、発掘調査もされているのだろうか?淡い期待を持っているが・・・。

移築陣屋門(㊧表側から、㊨寺院内から)
「伊勢崎風土記」によれば、「今の寺邸宅は古昔の廓内にして寺門は即ち城門なり(原漢文)」とあり、 元は最初に伊勢崎藩を立藩した藩主稲垣長茂の屋敷門であったと推定され、寛文元年(1661) に同聚院の本堂が建て替えられる以前の遺構と考えられる。従って、この門は他の寺院の山門とは構造が異なり、瓦葺の切妻造りで、 本柱4本に控柱4本を設けた四脚門で、薬医門の形式をとっている。

 

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