信濃 山家城(松本市)

主郭東側の石垣

小笠原氏林城の支城、信玄の府中侵攻の際に自落

読み方

やまべじょう

別名

中入城

所在地

長野県松本市大字入山辺8318ほか、徳運寺の裏山
徳運寺:入山辺4526、電話0263-31-2215
【登城口】
徳運寺の墓地から取り付いて西尾根を登るルートと、徳運寺の東約200mほどの所(上手町の公民館前)から南西尾根を登るルート(こちらは道が整備されている)があるが、遺構を見ながら登れる西尾根がお勧めである。

所要時間

徳運寺から主郭まで約40分。今回の見学時間(徳運寺から登り、徳運寺まで戻る)は約2時間でした。

形状

山城

現状・遺構等

現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、堀切、竪堀、土橋、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2009/12/13

歴史等

山家城は、鎌倉時代末に山家氏が築城したと伝えられる。
山家氏は、元弘元年(1331)に徳雲寺(現徳運寺)を創建した神為頼(諏訪氏)の子孫が山家氏を称した。
文明12年(1480)に小笠原氏に叛いたため、小笠原長朝に攻められ、翌年の戦いで山家氏は諏訪氏の支援を受けたが、この戦い後、諏訪山家氏は滅びている。
その後、永正2年(1505)頃小笠原氏の同流である折野薩摩守昌治(折野山家氏)が播州から来てこの城にいたと云われている。
天文19年(1550)武田信玄の府中(松本)侵攻のさい自落した。
山家城は、逐次改修が加えられていったが、特に戦国期に入って、林城に拠る小笠原氏の属城となってから大規模な改修が行なわれ、山辺谷最奥部の要害城としての威容を誇っていた。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

山家城は、鎌倉時代末に山家氏が築城以来、時代を経ると共に改修が加えられたといい、今残る遺構は「西尾根から主郭にかけての一帯(新しい城郭部分)」と「主郭の北東の尾根の頂上部の秋葉神社が祀られた郭を中心とした一帯(古い城郭部分)」の2つに分けられる。連郭式山城であるとともに、いわゆる一城別郭式の山城と言えるだろう。
新しい城郭部である西尾根は、3条の堀切で区分けされた曲輪があり、尾根の最高所である東端に主郭を置き、主郭下には帯曲輪を備えている。
3条の堀切全てが良好に残っているが、特に最も東側にある主郭部下の堀切は深い上に傾斜も急で見事だ。
帯曲輪と主郭は比高差7~8mほどあり見上げるほどの切岸である。主郭は往時は周囲を石垣で固められていたのであろうか、斜面周囲には石が埋まっていたり転がったりしている。東斜面と南斜面には石垣が残り、中でも東斜面の石垣は高さ約2m、長さ約20mにもおよぶ見応え充分なものだ。主郭は不整形(楕円に近いかな)で、東西22m×南北20m程の小さな郭で東側半分は土塁(石塁?)が残り、特に祠の裏側北東部の土塁ははっきり残る。
主郭の背後の北東尾根が古い城郭部で、最高所の秋葉神社が祀られた郭が当初の主郭であったのだろう。
新しい主郭背後から古い主郭までの間に配された5条の堀切は見事だ。これらの堀切は5重堀切であると同時に、両側が竪堀となっており、5条の畝状竪堀ともなっている。中でも、主郭背後の堀切と5条目の堀切は規模も大きいものだ。
古い主郭は新しい主郭と較べるとかなり広く2段になっており、前後に土塁が残る。
そして、その奥の郭との間にも堀切が配されており、その郭も前後を土塁と堀切が配されている。さらに奥も段郭になっている。
また、新しい主郭の南下の尾根にも郭があるようだ。
小笠原氏関連の城は規模も大きく見応えのある山城が多いが、山家城は、その中でも群を抜いているのではないだろうか?
(2009/12/13登城して)

ギャラリー

徳運寺と背後に山家城址を望む
徳運寺の墓地から取り付いて西尾根を登るルート(写真の左側から)と、徳運寺の東約200mほど(写真右の道を行く)にある公民館前から南西尾根を登るルート(こちらは道が整備されている)があるが、遺構を見ながら登れる西尾根がお勧めである。いずれも徳運寺の駐車場を拝借。
01徳運寺

西尾根を進むと神社が
徳運寺の墓を通り背後の山の尾根上に登り、主郭(東)方面へ向かって行くと、まもなく前方に段郭のような地形が現われ神社が祀られている。しかし、これは後世のものだろう。
02西尾根

登城道
神社の背後からは、道の両側が笹薮になり、やがて尾根も細くなってくる。そこをしばらく進むと坂が急になり、やがて道がなくなるが、構わず進む。
04登城道1
04登城道2

最初に出逢う堀切①
神社から13~14分ほど進むと堀切が現れる。堀切には土橋が架かっている。堀幅は上部で約5m、深さは土塁上から土橋まで約3mほどかな。
06最初に出逢う堀切

最初に出逢う堀切と竪堀②
堀切は、両側とも竪堀となって山裾へ延びていっている。
08最初に出逢う堀切と竪堀

2つ目の堀切①
最初の堀切を渡り、郭を進むと2番目の堀切へ出る。この堀切の規模も最初の堀切と同程度だ。尚、郭に左下には腰郭もある。
11次に出逢う堀切

2つ目の堀切
堀切の深さはそれほどでもないが、城内側(写真左)との高低差は5m以上はあると思われる。
11次に出逢う堀切2

土塁
堀切の城内側には土塁が設けられていて、堀底からの高低差を大きくしている。
13土塁

正面上に主郭部、その手前に土塁と堀切が
2番目の堀切を渡り、幅はそれほどでもないが、かなり長い郭を進んで行くと、正面に壁が・・・!どうやら主郭部らしい。また、その手前には土塁と堀切が見えてくる。この光景は如何にも山城らしくてかっこいい。また、郭両側には腰郭もある。
15主郭郭と堀切

主郭部西の(三番目の)堀切
この堀切は、写真で見るとそれほどでもないが傾斜が急であり、正面の土塁から深さ5m近くあり結構見応えが有る。その土塁の上がいよいよ主郭部(主郭帯郭)である。
17主郭部西の堀切1

主郭を見上げる
帯郭から主郭を見上げたものである。帯曲輪と主郭は比高差7~8mほどあり見上げるほどの切岸である。主郭は往時は周囲を石垣で固められていたのであろうか、斜面周囲には石が埋まっていたり転がったりしている。右上に南側斜面の石垣が見えるが、写真がもう一つで・・・(汗)。
19主郭を見上げる

主郭南斜面の石垣
主郭へは、南側から登って行ける。南側に少しだけ石垣が残っている。
21主郭南斜面の石垣

主郭
主郭は不整形(楕円に近いかな)で、東西22m×南北20m程の小さな郭で東側半分は土塁が残っている。
23主郭

主郭北東部の土塁
特に祠の裏側北東部の土塁は良好に残っている。
24主郭北東部の土塁

主郭東斜面の石垣
東斜面の石垣は高さは2m強あり、長さは搦手虎口を挟んで両側の石垣トータルで約20mにもおよぶ見応え充分なものだ。私は、この信州特有の牛蒡積みの石垣が何とも好きだ(^^)
26東斜面の石垣

主郭東斜面の石垣(搦手虎口の北側部分)
27東斜面石垣

主郭東斜面の石垣(搦手虎口の南側部分)
29東斜面石垣2

主郭背後(北東)の五重堀切
主郭の北東部から背後の尾根を眺めたた時には2重堀切だと思い喜んだが、尾根沿いに登って行くと、それどころか何と5重堀切であった(^^)
31五重堀切

主郭背後(北東)の堀切
5重堀切の中でも、この主郭すぐ背後の堀切は特に規模が大きい。
33主郭背後の堀切

主郭背後(北東)の堀切から続く竪堀
5重堀切は、両側が竪堀となっており、5重堀切であると同時に5条の畝状竪堀ともなっている。中でも、主郭背後の堀切と5条目の堀切は規模も大きい。
35竪堀

三番目の堀切から主郭方面を
写真ではちょっと見辛いが、中央奥上に主郭東側の石垣が見える。それでも堀は重複しているのは分かってもらえると思う。
37三番目の堀切から主郭方面を

5番目の堀切
この堀切が最も規模が大きく、しかも良好に残り、土橋の両側の傾斜も結構ある。
39五番目の堀切

5番目の堀切から続く竪堀
41竪堀

古い主郭
この郭は幅はそれほどでもないが奥行きが長く、新しい主郭と比べるとかなり広い。
秋葉神社が祀られているが「こんな山奥までお参りに来る人がいるのだろうか?」と思っていたら、後ろから犬の鳴き声が聞こえてきた。下山時に狩猟犬に出逢った(汗)そして、その犬が地面の臭いを嗅ぎながら、こちら方面へ来た後にしばらくしてから、ズズズドーンというダイナマイトが爆発したような銃声が聞こえてきた(冷や汗)。こんなところで、イノシシか鹿と間違えられて撃たれたら洒落にもならない(苦笑)。

43古い主郭

古い主郭背後の堀切と土塁
45古い郭背後の堀切

古い主郭の奥の郭
この郭もかなり広い。仮に古い二郭と名付ける。
47古い二ノ郭

古い二郭奥の土塁
古い主郭も二郭も前後には土塁が築かれている。
49土塁

段郭
古い二郭の奥にも段郭が続いている。
51段曲輪

登城口
下山は、もう一つの登城口(公民館脇)へ下りてきた。現在では、こちらが一般的な登山口のようで、説明板が立っている。
53登城口

トップページへ このページの先頭へ

コメント

富岡武蔵(2012/05/19)

山家城の本丸の石垣には驚きました。小笠原氏は板状の石垣を利用するのも特徴ですね。
 5/18に信州八千穂村にある蟻城を登ってきました。蟻城はいままで南城を登って攻略したと思っていましたが、蟻城は複合の山城で、ほかに西城、北城があることがわかり、今回三つとも登って来た次第です。
 北城は山裾にあることから、壕道を駆使した面白い城でした。

タクジロー(2012/05/24)

武蔵さま
相変わらずのご活躍ですね。
私は、久し振りに城めぐりをして、昨日、山陰から帰ってきました。
そろそろ、武蔵さんのブログを参考に、北関東から信州にかけても廻りたいと思います。

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント