遠江 鴨江城(浜松市)

鴨江寺仁王門

南北朝時代に南朝方についた井伊氏の本拠三嶽城の南方を守る支城

所在地

静岡県浜松市中区鴨江4丁目(鴨江寺から西小学校にかけて)
【アクセス】
国道275号線「伝馬町」交差点を約800m西進すると右手に鴨江成田山不動堂と鴨江寺がある。ここから北側一帯が城域と考えられている。
鴨江寺:鴨江4丁目17番1号、電話053-454-5121

形状

平城

現状・遺構等

現状:鴨江寺、西小学校、宅地等
遺構等:なし

満足度

-----

歴史等

鴨江城の創築年代については定かではないが、鴨江寺の寺伝によれば、鴨江寺そのものが大宝2年(702)、文武天皇の勅願所として創建され、平安期には一山300余の寺坊を擁する名刹で、比叡山延暦寺とも戒壇のことで争いがあったといわれ、僧兵を擁する城郭的大伽藍であったと推測される。
文献資料上鴨江城のことが出てくるのは南北朝期になってからで、南朝方についた三嶽城(浜松市引佐町)を本拠とする井伊氏の支城の一つとして重要視された時からである。
井伊氏は、三嶽城を中心に、北を天山城(あてやまじょう、別名田沢城、浜松市引佐町)、西を千頭峯城(浜松市三ケ日町)、東を大平城 (浜松市浜北区)、南をこの鴨江城と、支城で固めた。
足利尊氏の命を受けた高師泰・師冬が率いる北朝軍との攻防戦は、暦応2年・延元4年(1339)から翌3年・興国元年(1340)にかけて繰り広げられ、鴨江城は暦応2年・延元4年(1339)7月26日に落城した。
尚、その後、10月30日に千頭峯城が落城し、翌年の正月30日には三嶽城、さらに8月24日に大平城も落城した。こうして南朝方は、遠江国で拠点を失い、宗良親王は信濃国へ落ちていった。その後は、鴨江城は確かな史料に登場することはない。
『「日本城郭大系9」、「大平城説明板」参照』

現況・登城記・感想等

鴨江寺から西小学校にかけてが城域であったと思われるが、周辺に城跡の遺構は全く残っていないが、寺の北側がやや高くなっており、城を築くのには適していたのかも。
鴨江寺辺りは、30歳前半頃の静岡市在住時代、浜松出張時の宿泊先のすぐ傍で、毎日のようにその前を通ったものだ。また、浜松在住時代にも時々通ったこともあり、懐かしい。
私にとって、あまりにも日常的風景な上、遺構も皆無なので、サイト掲載は迷ったが、今回、同じ井伊氏の支城である大平城へ登城したので、ついでに載せることにした。
(2011/01/16)

ギャラリー

三嶽城を本拠とする支城群(大平城址案内板より)
井伊氏は、三嶽城(浜松市引佐町)を中心に、北を天山城(浜松市引佐町)、東を大平城(浜松市浜北区)、西を千頭峯城(浜松市三ケ日町)、南を鴨江城と、支城で固めた。
井伊氏支城群

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント