遠江 天山城(浜松市引佐町)

天山城遠景(南側を走る県道359号線から)

南北朝時代に南朝方についた井伊氏の本拠三嶽城の北方を守る支城

読み方

あてやまじょう

別名

田沢城

所在地

静岡県浜松市北区引佐町田沢
愛知県新城市下吉田
【アクセス】
引佐北部小中学校を右手に見て1kmほど北上すると、左斜めへ上る脇道に「この先田沢城跡5km」の看板が在り、ここから山頂まで車で登ることが出来ます。
引佐北部小中学校:浜松市北区引佐町四方浄134-6、電話053-528-3131

形状

山城(標高656.8m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪?、土塁?、説明板

満足度

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訪城日

2014/05/14

歴史等

南北朝時代、井伊家から分かれた田中直家の子直道は、田沢の地に移ってきて、田沢直道と名乗り、天山に城を築いた。
井伊家は天領を預かる名門として、南朝方に味方し後醍醐天皇の皇子宗良親王を奉じて平時の居館として井伊谷城を設けた。
天山城は、井伊家の守りとして井伊氏の支城の一つとして築かれたものである。
井伊氏は、三嶽城(浜松市引佐町)を中心に、南を鴨江城 (浜松市中区)、西を千頭峯城(浜松市三ケ日町)、東を大平城(浜松市浜北区)、そして北を天山城と、支城で固めた。
宗良親王は三岳城に立て籠もって戦ったが、攻め上ってきた足利方の大軍に屈して、興国元年(1340)1月落城した。
天山城は、三岳城落城に先だって、延元4年(1339)秋頃、北朝方による井伊攻めの激戦で衆寡敵せず落城したものと思われる。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

天山城(田沢城)は、平成の大合併により、今では浜松市(一部愛知県新城市)となっているとはいえ、大変な山奥の標高656.8mの城山(じょうやま)と呼ばれる山頂に築かれた峻険な山城です。 
今では、山頂に無線中継所の大きな電波塔が建てられているおかげで、車で登って行くことができますが、この道がまた・・・( ̄ー ̄;
「この先田沢城跡5km」の看板が立つ脇道から登って行くのですが、最初は舗装された道でホッとするのですが、片側或いは両側崖の車1台がやっと通れるほどの道で対向車と交差できる場所が少ない上、次第に悪路と舗装路の繰り返しになり、本当に山頂まで行けるのか不安になって来ます。途中、「この先田沢城跡2.3km」の看板に出会って少し安心すると同時に、まだ半分しか来ていないのかとガッカリします。
山頂に近付いて来ると、道端に説明板が設置され、さらに暫く走ると無線中継所の大きな2基の電波塔が建つ平坦地に着きます。山麓の脇道(登城口)から20分ほど掛かりました(;´▽`A``。
ここが恐らく、本丸跡なのでしょうが、中継所建設にあたり大きく改変されているので、明確な遺構は確認できません。2基の電波塔の間に土塁がありますが、それが往時の遺構なのかどうかは分かりません。
下山も、今来た道を戻るわけで、対向車が来ないことを祈りながら運転しましたが、山道の5.3kmというのは本当に長く感じられますヨ(苦笑)。運転に気を使いすっかり疲れました。フーッ( ̄ー ̄;。
天山城では、南北朝両者の攻防があったそうですが、「守る方(南朝方)も守る方ですが、攻める方(北朝方)も攻める方だ」というのが率直な感想です(苦笑)。
尤も、「遺構がほとんど残っていないことが分かっていながら、わざわざ東京から来て、こんな山道を登る方も登る方」ですネ(苦笑)。
まあ、それでも、南北朝時代の井伊氏の重要な城なので、一度は訪れたいと思っていたので満足です(笑)。
尚、城は愛知県と静岡県の県境にありますが、歴史的経緯を考えると遠江の城というべきでしょうから、カテゴリーは静岡県にしました。
(2014/05/14訪れて)

ギャラリー

三嶽城を本拠とする支城群(大平城址案内板より)
井伊氏は、三嶽城(浜松市引佐町)を中心に、南を鴨江城 (浜松市)、東を大平城(浜松市浜北区)、西を千頭峯城(浜松市三ケ日町)、北を天山城と、支城で固めた。
井伊氏支城群

天山城跡への入口
引佐北部小中学校を右手に見て1kmほど北上すると、左斜めへ上る脇道に「この先田沢城跡5km」の看板が在り、ここから山頂まで車で登ることが出来ます。
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天山城跡山頂への道①
最初は舗装された道でホッとするのですが、片側或いは両側崖の車1台がやっと通れるほどの道で対向車と交差できる場所は少ないです。
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天山城跡山頂への道②
途中、左手山側にでっかい岩が現れます。また、舗装されていない場所が多くなります。
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天山城跡山頂への道③
瓦礫道というわけではありませんが、かなりの悪路で、勿論、あまりスピードは出せません。
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「この先田沢城跡2.3km」の案内板
山麓の脇道(登城口)から10分ほどすると分岐点へ出、そこに「この先田沢城跡2.3km」の案内板が出てきます。少し安心すると同時に、まだ半分しか登って来ていないのかガッカリします。右手下へ下りて行く道は、愛知県側から登って来る道でしょうか?
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説明板「史蹟田沢城(天山城)跡案内」
分岐点から、さらに5~6分ほど登り、山頂に近付いて来ると道端に説明板「史蹟田沢城(天山城)跡案内」が設置されていますが、辺り一面は杉林で、城跡らしき様子は全く感じられません。
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山頂へ到着
山麓の脇道(登城口)から車で走ること、約20分ほどで、NTTDoKoMo引佐無線中継所の大きな2基の電波塔が建つ平坦地に着きます。山道の5.3kmというのは本当に長く感じられます(苦笑)。ここが恐らく、本丸跡なのでしょうが、中継所建設にあたり大きく改変されているので、明確な遺構は確認できませんが、金網に「城山(じょうやま」の説明板(写真やや右)があります。
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土塁跡?
2基の電波塔の間に土塁がありますが、それが往時の遺構なのかどうかは分かりません。
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