天守台から見下ろす南千畳
まさに日本のマチュピチュ、日本山城の最高傑作で「天空の城」とも云われる
別名
虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)
所在地
兵庫県朝来市和田山町竹田
形状
山城(標高:353.7m)
現状・遺構等」
遺構等:天守台、石垣、曲輪、井戸跡、竪堀、模擬城門、石碑、説明板
満足度
★★★★★(文句なし)
訪城日
2006/09/02
2009/05/09
歴史等
永享3年(1431)但馬守護職・山名宗全が出石此隅山城の出城として竹田城構築に着手、嘉吉3年(1443)完成し、太田垣光景を城主とした。その頃の竹田城は土塁造りの砦に近かった。
永禄12年(1569)羽柴秀吉が2万の軍勢で但馬を侵攻し、生野銀山から此隅山城まで、10日間で18城を陥落させた。
天正5年(1577)秀吉は再度但馬を侵攻し、竹田城は落城した。天正8年(1580)山名氏の後ろ盾となっていた毛利氏が但馬から撤退し、太田垣氏による支配は完全に終焉し、秀吉の弟・羽柴小一郎長秀(秀長)が城代となったが、後に秀長は出石・有子山城の城主になったため、秀長の武将である桑山重晴が竹田城主となった。天正13年(1585)桑山重晴は和歌山城に転封となり、替わって赤松広秀が城主に封じられ入城した。
この前後に、秀長・広秀により大修復が行われ、慶長初期に今に残る総石垣の壮大な城になった。
最後の城主、赤松広秀は、関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城を攻めたが、西軍は敗戦。徳川方の亀井茲矩の誘いで、鳥取城攻めに加わり、落城させるが、城下の大火の責めを負い、鳥取真教寺にて切腹し、竹田城は廃城となった。
『参照:現地説明板、サイト「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」』
現況・登城記・感想等
まさに日本の「マチュピチュ」と云っても過言ではないだろう。山城の中の最高傑作である。
まず最初に山麓から頂上付近の石垣群が見えてきた時点で、その素晴らしさにすでに興奮状態に陥る。そして頂上の天守台から見下ろす南千畳、北千畳に累々と横たわる石垣の美しさは、その向こうに見える田園風景と相俟って感動と興奮を与えてくれる。言葉に言い表せないほどの素晴らしさである。
本当は、朝霧(雲海)に浮かぶ幻想的な姿が、まさに「天空の城」といった感じで最高だそうであるが、それは次回にとっておこう。
また、二の丸から見る天守台と南千畳の姿や北千畳から見る正門と正門の間に見える天守台の姿も実に素晴らしい。
とにかく、何処から見ても、いつまで見ていても素晴らしく時を忘れてしまう。満足度100点満点の何度でも訪ねたい城址である。
(2006/09/02登城して)
久し振りに登城した。素晴らしくて、何度見ても飽きない城跡だ。ついつい同じ写真を何枚も撮ってしまった。一緒に登城したT氏も感激し、喜んでくれた。
(2009/05/09登城して)
ギャラリー
竹田城縄張略図(現地案内板より)
山麓から見る竹田城址
最初に山麓から頂上付近の石垣群が見えてきた時点で、その素晴らしさにすでに興奮状態に陥る。
模擬城門
山の中腹にある駐車場に模擬門が建てられている。ここから、階段を降りたところに大手門への大手道がある。
山名氏、赤松氏両軍陣歿諸霊供養塔
嘉吉の変を頂点とした百有余年、両雄は各地で攻防戦を展開した。両氏の末裔が相携えて宝塔を建立した。
搦手口駐車場から見上げる
搦手口の広い駐車場から城址を見上げたもので、写真では分からないが、中央やや右上に石垣が見える。大手門下にも少し駐車スペースはあるが、一般的にはこの搦手口から花屋敷を通り本丸へと登って行くようだ。登城道は多少急勾配だが道はよく整備されている。
花屋敷の石垣
登り始めて10分ほどで花屋敷の高石垣が目の前に現われる。
花屋敷への虎口
石垣に沿って進むと、虎口へ出る。上部に見える石垣は本丸石垣である。この時点で益々興奮。
花屋敷(本丸跡から見下ろす)
花屋敷(花殿)から本丸方面を
手前石垣は奥殿石垣、奥は本丸石垣。花屋敷には井戸跡らしき穴が残っていた。
二の丸平殿
本丸天守台東下にある。左側石垣は天守台石垣。
本丸への虎口階段
本丸への虎口の階段はかなり急で、途中から狭くなっている。
平殿付近の喰い違い虎口
平殿付近の喰い違い虎口は、 堅固だけでなく、なんとも云えずかっこいい。
本丸跡と天守台
本丸はそれほど広くないが、ここまで登ると眺望は素晴らしく、興奮も絶頂近くに達してくる。天守台は本丸から見るとあまり高くもなく平凡。石段はなく、木の梯子が設置されている。往時は、付櫓の階段を利用していたのであろう。
天守台上から北千畳を見下ろす ~画面をクリックにて拡大~
右から奥へ二の丸・三の丸・北千畳。その向こうの稲穂の黄色と、山並みの緑のコントラストが素晴らしい。
天守台上から南千畳を見下ろす ~画面をクリックにて拡大~
竹田城の最高の眺めであると思う。累々と横たわる石垣の美しさは、その向こうに見える田園風景と相俟って感動と興奮はクライマックスに達する。まさに日本の「マチュピチュ」である。しばらく時間を忘れて、見とれていた。
朝霧(雲海)に浮かぶ南千畳 朝日新聞関西版(2005年11月18日)より
二の丸から天守台を
武の門跡(二の丸と三の丸間の門)
三の丸から本丸・天守台石垣を(右の谷は相当な深さである)
大手枡形
左写真の中央奥の凹んだ所が大手門。
大手門跡
山腹の模擬山門からこの下まで車で来れるようだが数台しか停められない。
北千畳から見る天守台石垣(右)と南千畳方面の石垣(左)
南二の丸から正門跡を
正門跡の向こう側下が南千畳である。
正門跡とその向こうに本丸・天守台石垣
正門の石垣も素晴らしいが、その向こうに見える本丸・天守台石垣と相俟って益々魅力のある光景を醸し出してくれる。
南千畳
南千畳から正門越しに見える本丸・天守台石垣と右に見える二の丸・三の丸・北千畳の石垣の姿も格別のものがある。