阿波 一宮城(徳島市)

良好に残る本丸虎口の石垣

南朝方の山岳武士の拠点、一宮氏が居城、戦国時代に長宗我部元親が占拠

所在地

徳島県徳島市一宮町城山
【アクセス】
13番札所大日寺の南に一宮神社があり、その南側の山が城跡。
大日寺:徳島市一宮町西丁263、電話088-644-0069
徳島市街方面から大日寺を目指して県道21号線で向かうと、大日寺・一宮神社の手前(東)に左(南)へ入る細い道(「一宮城跡←」の案内板や石碑などがあります)があります。その道(下写真右)を入って行くと、すぐ左手に登城口(案内板等が立っています)がありその前に2~3台ほど駐車できるスペース(駐車代は志)があります。
(登城口への入口)
01一宮城城址碑

所要時間

登城口から本丸跡まで約20分、今回は小倉丸・椎の丸・水の手丸は未訪問ですが、見学時間は1時間でした。

形状

山城(標高144m、比高120m)

現状・遺構等

【現状】 山林(東山渓自然公園)
【遺構等】 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、倉庫跡、石碑、説明板、遺構案内板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2002/03/08
2014/10/15

歴史等

阿波一宮城は、南北朝時代、南朝に味方していた山岳武士の拠点であり、一宮氏が長年居城としていたが、天正10年(1582)12代・成祐(成助)が長宗我部元親に謀殺され、一宮氏は滅亡し、長宗我部氏に占拠された。
その後、天正13年(1585)豊臣秀吉が四国を平定し、蜂須賀家政が阿波を与えられ最初に入城したのが一宮城であった。翌年、家政が徳島城へ移ってからは、その支城として重臣・益田長行に守備させたが、元和元年(1615)の一国一城令により、寛永15年(1638)廃城となった。
『現地説明板参照』

現況・登城記・感想等

一宮城は、天険を利用した南北朝時代の典型的な山城です。
標高144mの山頂の本丸を取り巻くように、明神丸、才蔵丸、小倉丸、椎ノ丸、水ノ手丸などの曲輪や堀や土塁が残り、山城らしい景観を充分楽しむことができます。
当城跡で最も見応えがあるのは、規模は小さいながら、立派な石垣で築かれた本丸でしょう。但し、これらは明らかに天正13年(1585)以降入部した蜂須賀氏により大修築されたものでしょうね。
また、当城跡の各曲輪から見下ろす眺望も素晴らしいです。
(2002/03/08、2014/10/15登城して)

ギャラリー

阿波一宮城縄張絵図(現地案内板より)
00一宮城縄張絵図

登城口
登城口には、縄張絵図付きの説明板があり、トイレも完備しています。また、登城口から山頂の本丸跡まで、道はよく整備されています。
03登城口

竪堀
登城口から6~7分ほど登ると、竪堀が現れます。
05竪堀

倉庫跡
さらに進むと、すぐに倉庫跡へ出ます。説明板によると、ここは「ヤケムギ」と呼ばれ、以前は雨の後などに「炭化麦」が出土したことから「穀類」や「戦闘用の道具類」を保管していた所とされているようですが、眼下を見下ろす眺望からいっても「物見櫓」もあったであろうと思われます。
07倉庫跡

倉庫跡から見下ろす眺望
IMG_3284

石積み
さらに少し登って行くと、左手に石積みが確認できます。この石積みは、それほど精緻なものではなく、恐らく一宮氏か長曽我部氏時代に、土留めとして設けられたものでしょうか。
09曲輪石垣

曲輪跡
上写真の石積みの上は2段の平坦地になっており、名前は付いていないようですが、何らかの曲輪跡です。
11曲輪

堀切
曲輪跡から2~3分ほど登って行くと、堀底道となります。これは才蔵丸と明神丸を断ち切っている堀切で、深さ約7mはあり、見応えがあります。左上が才蔵丸です。
13堀切

才蔵丸への虎口
堀切の底部から階段を登ると、才蔵丸への虎口が設けられています。 
15才蔵丸への虎口

才蔵丸跡
17才蔵丸

才蔵丸跡からの眺望
才蔵丸から見下ろす眺望も素晴らしいです。当然、当曲輪も見張り台としての役割も持っていたことでしょう。
才蔵丸からの眺望

才蔵丸と明神丸周辺図(現地案内板より)
明神丸と才蔵丸周辺案内図

本丸及び明神丸への門跡
堀底へ戻り、さらに1~2分ほど登って行くと本丸と明神丸との分岐点へ出ます。分岐点(左が本丸、右が明神丸)の手前には門が建っていたようで、その背後には石段が設けられています。
19門跡

明神丸虎口
明神丸への虎口にも石段が設けられています。
21明神丸虎口

明神丸跡
23明神丸

明神丸跡からの眺望
明神丸からの眺望も素晴らしいです。
明神丸からの眺望

帯曲輪
明神丸を見終わったあと、分岐点へ戻り本丸へ向かいます。本丸へは帯曲輪が延びています。
25帯曲輪

本丸へ
帯曲輪を進むと、正面に本丸の石垣が見えて来ます。規模は小さいながら、立派な石垣で築かれています。これらは明らかに天正13年(1585)以降入部した蜂須賀氏により大修築されたものでしょうね。
強烈な逆光で、どうしてもまともな写真が撮れなかったので、前回の登城時(2002/03/08)に撮った写真を利用しました。

31一宮城本丸虎口石垣

本丸虎口
本丸虎口の石段はかなりの急傾斜です。石材は、徳島城のものとよく似ています。
33本丸虎口

本丸跡
本丸は木々が切られているので明るくて気持ちがいいです。ほぼ中央には若宮神社の祠が祀られています。
35本丸

本丸跡からの眺望(北東方面)
勿論、本丸跡からは北側全面の眺望が素晴らしいです。写真右奥が徳島市街です。
36本丸からの眺望

本丸跡からの眺望(北西方面)
写真奥(鮎喰川上流)が吉野川市方面になります。
本丸からの眺望2

本丸西下の腰曲輪の釜床跡
本丸の西下の腰曲輪跡には釜床跡が残っています。城の炊事場跡で、北の斜面は石垣で築かれています。釜床は1組が残っていますが、以前は数基が並んでいたとのことです。写真右上が本丸ですが、本丸西面の石垣は、多くが崩れてしまっています。
37釜床と本丸西面石垣

本丸南西隅から南面にかけての石垣
本丸周囲は、全て石垣です。周囲をめぐり写真を撮りました。南西隅の石垣は算木積みになっています。
38本丸南面石垣

本丸南面の石垣
39本丸南面石垣2

本丸北西隅から北面にかけての石垣
41本丸北面石垣

本丸北東隅から東面にかけての石垣
写真左奥は、本丸虎口の石垣です。この後、小倉丸・椎の丸・水の手丸へは訪れず、登って来た道を下りました。
43本丸東面石垣

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コメント

戦国山城大好き(2013/06/15)

こんばんは
行ってきました
登城道がいびつだった(*_*)
平らな所まで石段が積まれて登り悪い(^_^;)
堅堀の看板があっても、確認しずらかった
けど山頂部に本丸石垣が立派に残ってたので感動
本丸頂上部へほぼ直角の階段?を登り
頂上部へ着くと眺めが最高でした(^_^)
この後勝瑞城跡に行きました。
が城跡に着いた瞬間目が点(・・;)
国指定されてるのに、希望小っちゃ
写真撮って直ぐに徳島城跡に行きました

タクジロー(2013/06/20)

一宮城の本丸石垣はなかなかのものですね。
私は、出張ついでにタクシーで出掛けたので、ゆっくり回れなかったのが残念です(苦笑)。

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