信濃 霞城(長野市)

主郭北側下の段の石垣

山室氏の居城、山中に壮大な石垣が残る城

所在地

長野県長野市松代町大室
【行き方】
登城口は2つありますが、①については、現在、登って行けないようです。
①長野電鉄「大室駅」の線路南側に大室古墳群への案内板があるので、それに従い、道なりに進み800mほど進む。途中から上信越自動車道に沿って西進するようになり、左側に自動車道をくぐるトンネルのある十字路へ出る。そこを直進した突き当たりに二台分ほどの駐車スペースがある。尚、トンネルをくぐって左へ行くと古墳群である。
(登城口)

②長野電鉄「大室駅」の横の踏切を西へ3~400mほど行くと、左側に火の見櫓がある。そこを左へ曲がり直進し、最後の十字路を右へ曲がり突き当たったところが登城口。尚、駐車は、大室駅の横の踏切から西へ300mほど行くと、右側に高井大室神社があり駐車スペース(7~8台以上駐車可)がある。
(登城口)

形状

山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、石垣

満足度

★★★★

訪城日

2009/11/23
2009/12/13

歴史等

霞城の築城者や築城年代等については不明で、武田氏時代以前のことはわかっていない。
天正10年(1582)に 海津城に入った織田方の森長可から山室氏が知行を安堵され、その後、上杉景勝に属し在城した。
その後、屋代秀正の謀反に加わった嫌疑をかけられたらしく、同11年(1583)5月、景勝に詫び言を申し入れ、改めて本領を安堵されている。
景勝の会津移封後は、大室氏も同地に移って行き1,050石の知行を得ている。
『日本城郭大系8より』

現況

霞城は、国指定史跡大室古墳群の一角にあり、古墳を上手く利用して築かれているようだ。
縄張は最高所にある主郭を中心に、複雑に区画された曲輪が塁段になって備えられ、そのいずれもが石垣で固められていたようで、何十箇所にもわたって石垣が残っている。
石垣は信州特有の牛蒡積みで、ほとんどが2m前後の低いものではあるが、これほどまで石垣が残っている山城跡は東日本では他に見たことがない。
折角、これほど素晴らしい城址であるが、全く整備がされていないどころか、道さえないのは勿体ない気がするが・・・?

登城記

「近代城郭を思わせるような壮大な石垣」が残っているというので、今回の信州の城めぐりで最も期待していた城であったが、登城口を探ったあげく断念する羽目になってしまた。
事前調査による山麓東側登城口へ着くと、山麓には猪避けの柵があり、その一部に、従来は開閉できていたような入口があり、そこから道が山上へ延びているようだった。
強引に柵を乗り越え山中に入って行ったが、50mほど行くと道が無くなってしまった。
そこで、右の藪の中に突入して行ったが、しばらく進むと全く入って行くのが不可能なようなところへ出て断念。
今度は左側へチャレンジ。木々に蔓が巻きつく斜面を、蔓に何度も足をとられながら登って行ったが道らしきものは消えてしまった。それでも、強引に直登すれば尾根上まで何とか登れそうだったが、家内がこの城の前に登った鷲尾城の急坂で膝を痛めていたので無理をするのは止めようと思い断念した。それでも簡単には諦めきれず、散歩中の地元の方に他に登城道が無いか尋ねたら、北側から登れるが頂上までは行けないとのことであった。
今回はこの後、小布施方面へ行くので、『リベンジ』を誓って次回に持ち越し!!
(2009/11/23訪れて)

城郭図鑑」の軍曹さんから山の北側からの登城口の説明を戴きリベンジした。
ところが、それでもよく分からずウロウロ(泣)。地元の方に教えてもらおうにも、全く人と出会わない。
そして山の北側に岩壁剥き出しのところがあり、その下に登り道のようなのが見えたので登って行くと、大きな石が積み重なっていた。その石の上で周りを見渡したが全く見つからないどころか、乗っていた石がグラッと動き転んでしまった。幸い擦り傷だけであったが、退散(泣)!!

そうこうしていたら、やっと人に出会ったので登城口を教えてもらった。その人によると途中から道がなくなるとのことであった。そして一言「あの山、登るんですか?珍しいですね!?」と云われた。
そして、いよいよ登城口へ行くと年配の方がいたので再確認をすると、やはり同じように途中から道がなくなるとのことであった。
ところが、途中でなくなるどころか、登城口から10mも入って行くと、幾重にも重なった落ち葉のせいか、全く道がない。
高々、比高差60~70mの山だとばかり、強引に直登すると、すぐに大きな岩のところへ出たが、ここから何処を登れば良いのか皆目見当がつかない!? あまけに落ち葉で滑りやすく、ややもすればずり落ちてしまう。
トレッキングシューズの先を地面に突き刺すようにして、或いは、猪対策にと持ってきた傘の柄を数少ない木(何故か、この北東部は崖が急なせいか生えている木が少ない)に引っ掛けて登ったりと、悪戦苦闘しながら少しずつ登った。
こんな崖を登るのは鹿伏兎城(亀山市)の崖崩れ跡を登って以来だ。それも、鹿伏兎城の場合は、せいぜい20mほどであったが、ここは真上に見える頂上部まで50~60mほどはある。途中、何度も滑り落ちそうになって、下りも危ないし、もうすぐ夕方になるし、諦めようかとも思った。また「60歳を過ぎて、こんな馬鹿なことをやってるのは自分くらいのものだろう!?」などと考えながらも、14:53に頂上部に遂に到達(^^)。
結局、最高所の主郭跡へと直接登ってきたのであった。
写真を撮りながらとはいえ、登り始めてから18分間の苦闘だった。尤も、私には30~40分に感じられたが・・・。
トレッキングシューズで足元を固めてきて良かった~。本当ならピッケルも欲しいところだ!
城跡は、主郭周辺から南へと塁段になった曲輪跡にかけて信州特有の牛蒡積みの石垣が残っていた。ほとんどが2m前後の低いものではあるが、ゆうに十箇所以上にも残る石垣は東日本の山城跡では他には見たことがない。登りの苦労もすっかり吹き飛んだと言いたいところであるが、陽の短い季節で、しかも曇天である。あまりゆっくりもしていられない。
下りは、南の方へ下りて行った。こちらは割り合い緩やかで、所々に道らしきものがあった。以前は、道があったのだろう。
しかし、笹藪や茨がかなりのものだ。結局、面倒になって登ってきた崖を降りることにした。下りは体を横にして、ずり落ちながら降りたら意外にも簡単に降りることが出来た。
ところが、降り切った場所が登り始めたところではなく、かなり南側の藪の中へ降りてしまった。藪には、自転車のハンドルなど、やたらとゴミが棄てられている。ゴミを踏み、藪こぎをして登城口まで・・・。15:25であった。50分間の悪戦苦闘の巻!
どうやら、この城に登るのは、どちらかというと、前回登り始めた山の南東部から、割り合い低い尾根に一旦登り、尾根の上を藪こぎをしながら北の主郭へ進むのが正解なようだ。
或いは、今になって思うことだが、巨岩のところから無理に直登せずに、平行に南の方へ廻ってから登るべきだったようだ。
(2009/12/13登城して)

ギャラリー

登り始めてすぐに現れる巨岩
登城口から登り始めるとすぐ、目の前に巨岩が現れる。この岩の左側を通って登って行くことになるが、道どころか歩いていけそうなところが見当たらない(汗)
IMG_2943

崖をひたすら・・・(汗)
それでも何とかずり落ちないようにトレッキングシューズを、幾重にも折り重なった落ち葉が積もる地面に突き刺すようにして足を踏ん張り、また、猪対策にと持ってきた傘の柄を数少ない木に引っ掛けて登ったりと、悪戦苦闘しながら少しずつ登った。ピッケルが欲しいところだ!
IMG_2947

眼下には町並みが・・・
さらに登って行くと、遥か眼下に町並みが・・・。
IMG_2949

いよいよ頂上付近
頂上付近に登ってくると、崩れた石垣の石があちこちに転がっている。少なくとも今は崩れ落ちてこないでくれ~!
IMG_2953

主郭へ到達!
結局、最高所の主郭跡へと直接登ってきたのであった。写真を撮りながらとはいえ、登り始めてから18分間の苦闘だった。尤も、私には30~40分に感じられたが・・・。勿論、主郭も全く整備はされていない。
IMG_2958

主郭北側の腰曲輪
まず主郭の北へ向かうと結構広い腰曲輪があった。
IMG_2964

【石垣・石垣・石垣・・・】
霞城は、曲輪が塁段になって備えられ、そのいずれもが石垣で固められていたようで、何十箇所にもわたって石垣が残っている。石垣は信州特有の牛蒡積みで、ほとんどが2m前後の低いものではあるが、これほどまで石垣が残っている山城跡は東日本では他に見たことがない。
「主郭北側の石垣」
主郭は2段になっており、その両方とも石垣で固められている。 
主郭北側の石垣

「主郭北西の石垣」
主郭北西隅の石垣を西側から撮ったものである。下の段の石垣は高さ2m以上ある。 
主郭北西の石垣

「主郭北西隅下の段の石垣」
この北西隅の下の段の石垣は、折れを伴い南(写真右)の方へと続く。 
主郭北西隅下の段の石垣

「主郭西側の石垣」
この主郭西側の石垣は、一段下の写真のように北西隅の石垣から続いてきており、この城址で私が確認できた中で最も長い石垣である。
主郭西側の石垣

「主郭西側の石垣の全体像」
左端に見えるのが北西隅下の石垣。西側の石垣下はかなりの急傾斜になっている。
主郭西側の石垣全体像

「主郭南西部の石垣」
主郭の上の段の南西部の石垣も良好に残っている。
主郭南西部の石垣

「主郭南側の塁段の石垣」
主郭の南側は7段ほどの塁段になった曲輪があり、そのいずれも石垣が残っている。写真の一番下辺りに「大室古墳」の案内板が立っている。手前の大きな石などは、多分古墳の石を利用したものだろう。
主郭南側塁段の石垣

「主郭南側の石垣」
この石垣は主郭から2段下の石垣だったと思う。多分?(汗)
主郭南側の石垣

「主郭最下段?の石垣」
南側の最も下の段の曲輪の石垣だと思うのだが・・・?ただ、「日本城郭大系8」の縄張図だと、最下段の石垣はもっと短いようになっているので、あまり自信はないが・・・(汗) 
主郭最下段の石垣

「主郭部への喰違い虎口の石垣」
主郭部への南側の喰い違い虎口だと思うのだが、これまた「日本城郭大系8」の縄張図にはないので・・・?しかし、これはまさしく喰い違い虎口以外の何者でもないと思うのだが・・・?
喰い違い虎口

【霞城全景】(左に上信越自動車道のトンネルが)
IMG_2416

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コメント

軍曹(2009/11/29)

はじめまして。城郭図鑑の軍曹と申します。
いつも貴サイトは楽しみに拝見しております。
さて霞城ですが、やはり北側から登るのが良いかと思います。
公民館や永福寺側から山に向かって突き当たり、
そこからある程度は道がついています。
途中で観音様と大きな岩がありまして、そこまで来れば城跡はすぐです。
道はほぼ消えていますが、尾根に取り付きひたすら左方面へ行けば、
いきなり石垣へ出くわします。
大岩から10分少々の登りで、真夏でも行けたぐらいですから、
今の季節ならまず大丈夫かと思います。
ぜひリベンジしてみてください。

タクジロー(2009/11/30)

軍曹さま
懇切丁寧な紹介を戴き、本当にありがとうございます。
是非、年内に再チャレンジしたいと思います。
私も、貴サイトはいつも楽しく拝見させてもらい、大いに参考にさせてもらっています。
これからも、ご教示宜しくお願いします。
本当に有難うございました。

軍曹(2009/12/16)

早速リベンジに成功されたようですね!
僕の道案内がわかりづらくて申し訳ないです。
当時はアドレナリンが出まくっていて一気に突き進んだもので・・
無事にあの石垣を見て頂くことができて嬉しく思います。
あれだけの遺構を残しているのですから、
せめて道ぐらいは整備して欲しいところですね。

タクジロー(2009/12/17)

軍曹さま
お陰さまで、何とかリベンジに成功しました。
巨岩のところから、いきなり直登したのが失敗だったようです。
それにしても道があれば、もう少しじっくり見て廻れるのにと思いました。
今後とも、宜しくお願いします。

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